騒動の周辺・後日談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 23:15 UTC 版)
「ミッチー・サッチー騒動」の記事における「騒動の周辺・後日談」の解説
沙知代自身は学歴詐称疑惑は「読売(読売ジャイアンツ)の陰謀」と話している。他にもこの騒動自体が読売グループ主導によるネガティブ・キャンペーンであると批判した著名人やメディア(毎日新聞社など)も多くいた。佐々木慎吾は「(バッシングは阪神の監督を務めていた)克也への揺さぶり」 という沙知代の「読売陰謀説」を支持している。 浅香に関しても、自身の過去を暴いた怪文書の隠蔽工作を図るなどの行為をしていたとされる。それにもかかわらず沙知代ただ1人が槍玉に上げられたのは、「視聴率を稼ぎたいワイドショー(民放テレビ局)側と、それぞれに思惑のある連中がお互いの利益で結び付いているから」という構図によるものとも言われている。『噂の真相』は「沙知代批判を繰り返している面々も、実はそれ以上にウサン臭かったり、目クソ鼻クソのタグイ」と報じた。 フジテレビ系列『情報プレゼンター とくダネ!』は、4月16日放送分で、沙知代が美容整形の代金を滞納しているとした内容を放送した。しかし翌日、小倉智昭が番組の冒頭で「今後、ミッチー・サッチー騒動や野村沙知代さんに関する報道は特に大きな進展がない限り放送はしません」と挨拶した。理由は明らかにされなかったが、『スポーツ報知』はヤクルトを3度の日本一に導いた沙知代の夫・克也に配慮した、またはヤクルト球団の大株主であるフジテレビ及びフジサンケイグループの意向(圧力)であると結んだ。 芸能ニュースを扱うワイドショーを放送しないテレビ東京は、この騒動とほぼ無縁状態だった。1999年6月25日に行われた同局の定例会見では、当時の一木豊社長が「ウチは(この騒動の報道を)やる気がないから困惑している。こんなことを続けていると政党が出てきて、『けしからん』と言われてしまう」と述べた。 沙知代は1999年6月30日にワーナーミュージックよりシングル「SUCH A BEAUTIFUL LADY」を発売する予定だったが、同社が発売延期を表明、後に発売元をワンダービートに替えて7月20日に発売するという事態も発生した。 エッセイストとして活動していた沙知代は1985年8月、処女作となったエッセイ『きのう雨降り今日は曇りあした晴れるか』(潮出版社)を発表(月刊誌『潮』1985年8月号掲載。同年8月、潮出版社より単行本化)。同著作は同年の第4回「潮賞」ノンフィクション部門特別賞を受賞した。しかし、この騒動が始まると、沙知代の経歴への疑惑からゴーストライターの存在などが取り沙汰される騒ぎとなり、潮賞は第20回(2001年)を最後に中止に追い込まれた。
※この「騒動の周辺・後日談」の解説は、「ミッチー・サッチー騒動」の解説の一部です。
「騒動の周辺・後日談」を含む「ミッチー・サッチー騒動」の記事については、「ミッチー・サッチー騒動」の概要を参照ください。
- 騒動の周辺後日談のページへのリンク