食事と料理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
平和が続き、生活が安定すると物資は豊富なものとなり、外国各地から食材がもたらされ、外国の料理も通常振る舞われる料理の一種となっていた。 この時代、シルクロードを通って、もたらされたものに香辛料が挙げられる。胡椒、ヒハツ、ニンニクなどが料理に使われた。西域から伝えられたキュウリやほうれん草も一般に普及した。 中国北部では粟や豆、麦がつくられ、盛唐に小麦粉食が流行したため、麦の生産量が増大した。南部では米がつくられ、大運河を使って北方に運ばれたため、米食が北部で増加し、米を使った料理も増えた。 西域から渡ってきた小麦粉で作る麺類と、小麦粉を練り、焼いてつくられたパン類の餅がすでに主食の一部となっていた。他に饅頭、ワンタン、餃子が流行した。現存する餃子の最古のものは唐の高昌王墓から出土した唐代の化石である。また、西域から新たに、ヒツラ(ピラフ)が伝わった。 肉食は、牛、羊、豚、鶏、ラクダなどの家畜や、狩った鹿や猪、兎、熊などが食された。遊牧民族の肉料理の方法も伝わっていた。また、海洋技術の発達により、蟹、イカ、ナマコや海藻が採られるようになった。 果物は、ブドウ、ザクロ、ミカン、ウリ、ナシ、スモモ、モモが食べられた。特に南方で捕られたライチは貴重で、楊貴妃に好まれたことで知られた。サツマイモ、ナツメは当時は甘味の1つであった。 富裕層はすでに多様な食事を食べることが可能になり、珍奇な食材を好むグルメ嗜好も生まれてきた。庶民は穀物やウマゴヤシなどの菜食が中心だった。医食同源という考え方も生まれ、食事療法も広まっていた。
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