題材と構図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:18 UTC 版)
ヤン・ステーンのような17世紀のオランダの画家に顕著であるが、印象派以前の画家たちも日常生活的な題材に力を入れていた。しかし、彼らの構図は旧来のもので、メインの題材(主題)に鑑賞者の注意が集まるように構図をアレンジした。印象派は主題と背景の境目を緩やかにしたので、しばしば印象派の絵には、大きな現実の一部を偶然に切りとったかのようなスナップショットに似た効果がある。写真が広がり始め、カメラが携帯可能になった。写真は気取りのない率直な態度で、ありのままの現実をとらえるようになった。写真に影響されて、印象派の画家たちは風景の光の中だけでなく、人々の日常生活の瞬間の動きを表現するようになった。 写真は現実を写し取るための画家のスキルの価値を低下させた。印象派の発展は、写真が突きつけた難題に対する画家たちのリアクションとも考えられる。「本物そっくりのイメージを効率的かつ忠実に生み出す」という点では、肖像画と風景画は不十分だし真実性にも欠けると思われた。 それにもかかわらず、写真のおかげで画家たちは他の芸術的表現手段を追求し始めた。現実を模写することを写真と張り合うのでなく、画家たちは「画像を構想した主観性そのもの、写真に模写した主観性そのものをアートの様式に取り込むよって、彼らが写真よりうまくできる一つのこと」にフォーカスしたのである。印象派は、正確な再現を生み出すのではなく、彼らにそう見える自然を表現することを追求した。これにより画家は「自分の嗜好と良心とに課される暗黙の責務」を担って、彼らの目に移るものを主観的に描くことが可能になった。 画家たちは写真にはない絵の具の特性、例えば色彩をフルに活用した。「写真に対して、主観というオルタナティブを自覚的に提出したのは、印象派が最初であった。」 もう一つ大きな影響を与えたのは、もともとは輸入品の包み紙としてフランスに入ってきた日本の浮世絵(ジャポニズム)である。浮世絵の技法は、印象派の「スナップショット」アングルと斬新な構図に大きく貢献した。モネの『サン・タドレスのテラス』(1867年)はその例であって、大胆な色の塊りと強い斜線のある構図は浮世絵の影響である。 エドガー・ドガは熱心な写真家かつ浮世絵の収集家であった。彼の『ダンス教室』(1874年)は、その非対称な構図に写真と浮世絵の両方からの影響が見られる。ダンサーたちは無防備で不恰好な姿勢であり、右下の4分の1は何もない床の空間である。彼はまた『14歳の少女ダンサー(英語版)』のように、ダンサーの彫刻も残している。
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