静電気学への取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:35 UTC 版)
「百人おどし」も参照 自著『阿蘭陀始制エレキテル究理原』の付書によると、天明3年(1782年)の21歳のときに山中という人物の持っていたエレキテルを借りて実験したと書いている。 40歳のころから、エレキテルの研究に没頭した。恐らくは、オランダのボイス(Egbert Buys)が編集した百科事典「蘭: Nieuw en Volkomen Woordenboek van Konsten en Wetenschappen」を参考にしたと推測される。この百科事典の中で、電気に関する記述は図版も含めて13ページほどであり、該当箇所の内容は『エレキテル訳説』として橋本宗吉の手で翻訳された。さらにこの事典とヨハネス・ボイス(Johannes Buijs)著「蘭: Natuurkundjg schoolboek」を参考に、エレキテルを使い自ら行った実験を載せた『阿蘭陀始制エレキテル究理原』を著した。大槻玄沢は『厚生新編』の「越列吉低力的乙多」の項で以下のように橋本のことを記している。 さて近き文化牛未両年のころ、浪華の橋本某という者、右ボイスの著わせる図説およびナチュールブック等の蘭書に載する諸説を読んで、その大体の理を弁え、よってこの器における種々の機巧を発明したり。 — 大槻玄沢 、 厚生新編 橋本は単にエレキテルの原理を解説しただけではなく、エレキテルやライデン瓶を使った種々の実験を行った。これらの実験について、『阿蘭陀始制エレキテル究理原』の中で解説を行っている。例えば、寺子屋「旭昇堂」にて百余人の子供に感電実験(百人おどし)を行ったと記している。 また『阿蘭陀始制エレキテル究理原』には、ベンジャミン・フランクリンの凧をつかった雷の実験のごとく、泉州佐野で門人の中喜久太が高さ十九間(約40m)の松の木を使い「天の火を取る実験」を行ったことが記されている。この他にも『阿蘭陀始制エレキテル究理原』には、エレキテルで焼酎に火をつける実験、エレキテルでカエル・ネズミ・スズメなどを気絶させる実験、エレキテルの静電気で紙人形を踊らせる実験なども書かれている。 『阿蘭陀始制エレキテル究理原』には、松原右仲が作ったエレキテルと、それを参考に橋本が作ったと思われるエレキテルの説明が書かれている。これらのエレキテルは平賀源内のエレキテルと異なり、鉄衝(鉄砲の古い筒)に帯電させる方法を取っている。 ライデン瓶に静電気を溜める実験についても記述がある。ライデン瓶として、一升五合入るガラス瓶を用いたと記録している。構造としては、先端に真鍮の球をつけた真鍮棒を、ガラス瓶のなかに差し込み、ガラスとの間を松脂で封じ、瓶の外側に金箔を貼って、瓶の中に金属の削り屑や水などをいれたものである。 このような実験を集めて執筆された『阿蘭陀始制エレキテル究理原』上下二巻は、伏屋素狄の序文の日付から文化8年(1811年)の秋には完成していたはずであるが、文化10年(1813年)2月に出版願が出されている。しかし、同年8月に却下され、刊行に到らなかった。
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