電気製鋼所の設立とは? わかりやすく解説

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電気製鋼所の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:13 UTC 版)

木曽川電力」の記事における「電気製鋼所の設立」の解説

明治後期から大正にかけて、愛知県名古屋市には名古屋電灯という電力会社存在した(後の東邦電力)。同社は元々旧尾張藩士族会社であったが、明治末期より東京実業家福澤桃介株式大量に買収して進出し1913年大正2年)から常務翌年からは社長として1921年大正10年)までその経営にあたっていた。 名古屋電灯では明治末期大規模水力開発展開し1910年明治43年)に長良川にて出力4200キロワット長良川発電所を、翌1911年明治44年)には木曽川にて出力7500キロワット八百津発電所それぞれ完成させた(双方とも岐阜県所在)。名古屋電灯では開業以来需要に対して供給力の方が小さいという状態が続いていたが、この2つ大規模発電所建設によって供給力余剰生じ、しばらく工場電気鉄道といった大口需要開拓追われることとなったこうした中、第一次世界大戦勃発直後1914年大正3年10月前年から名古屋電灯顧問務め欧米視察から帰国したばかりの寒川恒貞に対し福澤余剰電力5,000キロワット利用方法研究依頼した。これに対し寒川将来性のある事業として電気による製鉄製鋼事業進言したことからただちに社内同事業の企画始まった事業化に関する試験費は5万円が支出され試験場として竣工したばかりの熱田火力発電所名古屋市熱田東町丸山)の発電室一角割り当てられた。まず1915年大正4年2月合金炉を製作してフェロアロイ合金鉄)の試作着手試作成功機に同年10月社内に「製鋼部」を設置し続いて1916年大正5年2月より600キロワット合金炉を製作しフェロシリコン製造試験始めた3月にはエルーアーク炉完成し炭素鋼試作始め、これに成功する続いて工具鋼試作行った一連の試験事業化目処がついたため、発電所敷地にて工場建設着手するとともに製鋼部の分社化準備進めた1916年8月19日製鋼部は名古屋電灯から独立し株式会社電気製鋼所」が発足した資本金50万円(うち20万円払込)で、全1万のうち半分名古屋電灯引き受け残り関係者引き受けた初代社長には当時名古屋電灯常務下出民義就き企画者寒川恒貞は常務として経営中心となった本社事業ではなく東京市麹町区現・東京都千代田区)に構えた

※この「電気製鋼所の設立」の解説は、「木曽川電力」の解説の一部です。
「電気製鋼所の設立」を含む「木曽川電力」の記事については、「木曽川電力」の概要を参照ください。

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