陸軍黎明期の経理部門
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「陸軍経理学校」の記事における「陸軍黎明期の経理部門」の解説
1868年(明治元年)旧暦1月、明治新政府の中に軍事を管掌する海陸軍科が設けられ、翌月には軍防事務局と改称した。同年旧暦閏4月、さらに官制の改革により軍防事務局は軍務官となり、軍務官の下に陸軍局が作られた。1869年(明治2年)旧暦7月、政府の制度はまた変更し軍務官は兵部省となり、省内に会計司が作られた。これが日本軍初の会計部署であり、当時の軍事会計はまだ陸軍と海軍が分化されていなかった。1871年(明治4年)旧暦7月、兵部省内に陸軍部と海軍部が設置された。陸軍部は5つの局から構成され、そのうち第五局が会計局として「金穀度支(きんこくたくし)、勘査、被服、糧食、住居等の経理を司る」となっていた。この兵部省陸軍部第五局の設置によって陸軍独自の会計・経理部門が誕生した。当初、第五局の人員は59名であった。黎明期における陸軍の経理担当武官は、要人の知人や推薦された者の中から旧藩時代の勘定方など適当な人物を選んだり、兵科将校や陸軍に出仕する文官を転用したり、他省に在職する人材を招聘するなど、一定の方針のもとに養成を行う段階ではなかった。 1872年(明治5年)旧暦2月、兵部省を廃し陸軍省が設置され、組織の構成はそれまでの兵部省陸軍部を引き継いだ。1873年(明治6年)3月、陸軍省の機構が卿官房と7つの局に改組され、陸軍省第五局が会計・経理部門とされた。1879年(明治12年)10月、陸軍職制(太政官達第39号)、陸軍省条例(陸軍省達乙第72号)、陸軍会計部条例(陸軍省達乙第77号)がそれぞれ制定され、陸軍の諸制度が整えられて従来の第五局は陸軍省会計局となった。このころ会計局と各地の鎮台勤務などを合わせた陸軍経理官の人員は169名まで増加し、1884年(明治17年)には278名まで規模が拡大した。 海軍では明治初頭から会計教育機関を設置し、のちに海軍経理学校となったが、陸軍ではまだ正規の補充教育機関は作られなかった。そのかわり明治10年代の初めより会計実務の処理能力向上のための集合教育や私的な研修が続行されていた。著名なものとしては監督会や、川口武定陸軍二等監督の私邸で行われた夜間講習会の川流舎などがあったものの、経理部門の規模が拡大するにつれ、陸軍の経理官を補充するための正式な教育機関を設ける必要性が高まった。 なお陸軍経理官の階級は各兵科と異なり、1886年(明治19年)の陸軍武官官等表改正(勅令第4号)では次のようになっていた(1886年3月時点)。 将官相当官 陸軍監督長(少将相当)監督部 上長官: 陸軍一等監督(大佐相当) 陸軍二等監督(中佐相当) 陸軍三等監督(少佐相当) 士官: 陸軍監督補(大尉相当)軍吏部 士官: 陸軍一等軍吏(大尉相当) 陸軍二等軍吏(中尉相当) 陸軍三等軍吏(少尉相当) 下士: 陸軍一等書記(曹長相当) 陸軍二等書記(軍曹相当) 陸軍三等書記(伍長相当)
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