陸運業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:15 UTC 版)
大正初期に福江町から豊橋市に向かう際、陸上交通を用いる場合は馬車で約4時間をかけていた。1919年(大正8年)頃にはこの区間にフォード社製乗用車による定期便自動車が生まれ、1920年(大正9年)には渥美半島で定期路線バスを運行する巴バス株式会社(後の豊橋自動車株式会社)が設立された。豊橋市の広小路に本社が置かれ、創立時には杢左衛門が取締役となったが、1934年(昭和9年)から3年間は社長を務めた。 1921年(大正10年)頃には豊橋から田原に向かう鉄道路線建設の機運が高まり、1922年(大正11年)3月6日に渥美電鉄(現在の豊橋鉄道渥美線)が設立された。杢左衛門も23人の発起人のひとりとなり、設立時の取締役にも名を連ねた。渥美電鉄の専務取締役として経営を指揮していた今西卓が1933年(昭和8年)4月23日に死去すると、同年7月から9月まで短期間取締役社長を務めた千葉断一を挟んで、70歳を超えていた杢左衛門が取締役社長に就任した。杢左衛門は毎日福江から豊橋に通勤し、競合関係にあった日の出自動車を買収したり、豊橋自動車を渥美電鉄の傘下とするなどした。1934年(昭和9年)には石川克昌を専務取締役として渥美電鉄の経営を指揮させ、1937年(昭和12年)6月に取締役社長を辞任した。
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