陸送転移への適応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 16:01 UTC 版)
1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争が勃発すると一部の車両が海外占領地での軍事輸送などに使用するため内地から送られた。また、貨物輸送が優先されたため貨物列車向けの機関車増強が実施され、旅客輸送や民需物資の輸送は、質、量共に低下していった。貨車自体も増積みが実施され、輸送の効率化が図られた。 内航海運に充てられていた船舶も外航のへ転用が図られたため内地用の船舶数はさらに逼迫し、日本近海の輸送を水運から陸運に切り替える「陸送転移」が進められた。山陽本線など一部幹線では輸送力増強策が図られ、関門トンネルの開通などは陸送転移を促進した。陸送への完全転移が望めない場合は一部を陸送に転移する「中継輸送」が取られた。中継輸送の例として、阪神地域において敵潜水艦の襲撃を受けにくい日本海側の航路が利用されたことが挙げられる。これらの施策により国鉄の設備は酷使され、事故も多発していった。レールに代表される、安全・安定輸送に必要な取り替え資材も不足した。
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