陸軍飛行学校生徒
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1933年(昭和8年)4月26日、「陸軍飛行学校ニ於ケル生徒教育ニ関スル件」(勅令第68号)が公布され、同年8月1日に施行された。この勅令にもとづき「航空兵科現役下士官ト為スベキ生徒」として一般および陸軍部内から召募し、試験による選抜のうえ陸軍飛行学校に操縦生徒および技術生徒として入校させたものが陸軍少年飛行兵制度の原点である。受験資格は入校年の3月31日における年齢が操縦生徒は満17歳以上19歳未満、技術生徒は満15歳以上18歳未満(陸軍部内より受験の場合は操縦・技術ともに上限20歳未満)、学歴に制限はなく学力が操縦・技術生徒とも高等小学校卒業程度とされ、毎年1回入校し修学期間は操縦生徒がおよそ2年、技術生徒がおよそ3年と定められた。生徒は在校中は兵籍にある軍人ではなく、卒業後に上等兵の階級を与えられて部隊に配属され、およそ1年の訓練と下士官候補者勤務を経て現役航空兵伍長に任官する。 1934年(昭和9年)2月1日、操縦生徒70名、技術生徒100名が埼玉県入間郡の所沢陸軍飛行学校に入校した。当時はまだ正式な名称がなく単に陸軍飛行学校生徒であり、場合により「少年航空兵」と通称されることがあったが、のちに少年飛行兵の名称が正式化した際、この時の170名を第1期と位置づけている。召募時の学力要求は特に高いものではなかったが、応募者は操縦生徒が3,336名(定員の約48倍)、技術生徒が6398名(同約64倍)という難関で、優秀な人材を集めることができた。 1935年(昭和10年)8月、陸軍航空技術学校が所沢陸軍飛行場内に設置され、技術生徒は同校でおよそ3年の教育を受けることになった。操縦生徒は同年12月に埼玉県大里郡に開設した熊谷陸軍飛行学校へ第2期生より移駐し、約2年の基本操縦教育を受けた。
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