陸戦に与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 13:40 UTC 版)
ミニエー銃は出現当時としては桁外れに強力な銃器であり、イギリスが採用した1851年型ライフルマスケットを例に取れば有効射程は一挙に300ヤード(約270m)とマスケット銃の3〜6倍に延長され、最大射程は1000ヤード(約914m。これは当時の砲の射程にあたる)にもなる。300ヤードにおいての射撃ではかなりの命中率を誇り、精度はさておき、威力での場合ならば、1000ヤード先でも十分に人を殺傷可能であった(この銃は、170年ほども前の銃であるため、仮に新品の、ライフリングが傷んでいない銃を使えば、もっと良い精度が出る可能性がある)。 ミニエー銃を含むライフル・マスケットは、それまでの陸戦で用いられていた戦術を大きく変えてしまった。敵味方双方の装備が有効射程50ヤード足らずのマスケット銃である事を前提とした戦列歩兵がミニエー銃を装備して相対した時、双方ともそれまでとは比較にならない損害が発生する事となった。この時代の戦争を描いた映像作品、例えば南北戦争が題材の『グローリー』や、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争を描いた『1864(英語版)』などでは、戦列歩兵の陣形を取った部隊が敵陣まで漫然と徒歩でにじり寄っていき、敵方のライフル・マスケットの一斉射撃に次々と薙ぎ倒されていくという、後年の第一次世界大戦や日露戦争などの映像作品における重機関銃に銃剣突撃で立ち向かう構図に類似した描写がされており、ミニエー銃が如何に殺傷能力の高い兵器であったか、そして用兵側のミニエー銃の威力に対する理解が如何に不足していたかという不条理が淡々と描き出されている事が多い。 ミニエー銃は1850年代中盤にフランスやイギリスなどに実戦配備されて以降、クリミア戦争やインド大反乱、太平天国の乱、第二次イタリア独立戦争、メキシコ出兵、普墺戦争、三国同盟戦争、太平洋戦争(1879年-1884年)など世界各地の陸戦に投入され、太平天国の乱における常勝軍のように、旧来のマスケット銃で武装した大軍団が寡兵のミニエー銃装備部隊に完膚なきまでに瓦解させられる事例がしばしば発生した。また、弾頭が回転しながら人体に食い込んでいくミニエー弾は、従来の丸玉よりも人体に対する破壊力が遥かに大きく、弾頭に塗布された動物性油脂はしばしば銃創に深刻な感染症や壊疽を発生させ、傷痍軍人の予後を大いに悪化させる要因ともなった。
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