陸上自衛隊の協力
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「さっぽろ雪まつり」の記事における「陸上自衛隊の協力」の解説
陸上自衛隊北部方面隊は「野戦築城訓練」の名目で雪まつりの雪像製作に協力している。陸自が大通公園で雪像製作を最初に行ったのは1955年の第6回で、第101通信大隊(現在の北部方面通信群の前身)が高さ10メートルの聖母マリア像『栄光』を制作した。 1954年に開設された陸上自衛隊真駒内駐屯地では、隊員のレクリエーションと(野戦)築城訓練も兼ねて駐屯地内に雪像を作り、1956年より第7混成団(→第11師団)の隊内で雪像コンクールを行っていたが、1963年には雪まつりに合わせて、真駒内駐屯地を一般開放して「真駒内スノーフェスティバル」を催した。これもまた雪像を中心にしたもので、実質的に雪まつりの真駒内会場として機能した。1965年の第16回から真駒内の祭典は、正式に雪まつりの一部になった。 これ以降は、人員と機材を持ち、年々ノウハウも蓄積した陸上自衛隊が、雪像製作の主役となる。後には大雪像のほとんどが陸自の製作か陸自の協力を仰いでの製作になった。 しかし、2001年のテロ対策特別措置法の施行後、陸上自衛隊の協力体制は大きく縮小されることになった。大通公園の大雪像は陸自の担当する数が削減され、長い間親しまれた真駒内会場は2005年の第56回をもって廃止された。 「陸自が担当する雪像数の削減」の理由は、製作の主力となる第11師団の部隊縮小(2008年3月に旅団に改編)で、製作にまわす人的余裕が減ったためである。「真駒内会場の廃止」の理由は、旅団化による規模縮小に加え、アメリカ同時多発テロ以降は、不特定多数の人々に駐屯地を開放することがテロへのリスクを高めることに繋がりかねないという懸念からである。これ以降は、会場への入場希望者に対し事前に審査を行い、問題がない者のみが真駒内会場への入場を許可される入場制限制がとられたが、最終的には会場の廃止となった。 現在、陸自が大通公園で制作する大雪像は5丁目会場と同7丁目会場の2基である。それ以外の民間が担当する大雪像は、長年の経験を持つ自衛隊OBの協力の下に、民間企業・地域住民などによる共同作業にて制作している。
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