防疫行政官
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2008年に日本人食中毒患者の治療を契機に防疫医師を志すようになった。小丘疹の症状から患者たちの食事を調査し食材のスッポンが原因と睨んだが、当時の台湾ではその診断技術を有していなかったため日本の岐阜大学の実験室に検体を送った。結果は羅の予想通り生肉に含まれていた旋毛虫によるもので、スッポンを介した感染事例としては世界初となった。この症例論文は米国CDCの機関紙「EID(Emerging Infectious Diseases)」でも発表された。また、台湾で国内初となる旋毛虫の集団感染でもあり、国家の調査能力を実証する形となった。 2008年7月に疾病管制局の防疫医師として公職に就く。1年後、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)で2年間の実地疫学(英語版)(EIS)訓練受講のため渡米。渡米期間中にはナイジェリア発生した原因不明の児童多発死亡事例の調査医師団として米国CDCから派遣された羅は、鉱山労働者が自宅へ持ち帰り加工していた鉱物の粉塵により鉛中毒が原因と突き止めた。 2014年8月、首席防疫医師だった羅はナイジェリアでのエボラ出血熱流行に伴い医師団とともに現地入りし、駐在台湾人の感染予防に貢献したが、羅は住民たちの間に「塩水を摂取すればエボラを予防できる」といった噂話や過度のデマを耳にした。噂を信じた住民には塩分摂取過多による腎不全での死亡者もいた。 数度のアフリカ赴任では、間違った知識や噂が蔓延していたことで感染者への不当な差別が横行し、地元に帰った感染者が奇異の目に晒され自殺に追い込まれたリベリアでの経験や、感染を知られたくないために地元から離れた場所で受診しその医師が感染で死亡したナイジェリアでの事例から、当地の防疫センターには心療医や精神科医のチームを作らせて患者のメンタルケアや社会での教育・啓蒙にあたらせた。デマの払拭や心理社会的(英語版)アプローチの重要性は台湾でも応用できると確信した。 数度のアフリカ赴任では、間違った知識や噂が蔓延していたことで感染者への不当な差別が横行し、地元に帰った感染者が奇異の目に晒され自殺に追い込まれたリベリアでの経験や、感染を知られたくないために地元から離れた場所で受診しその医師が感染で死亡したナイジェリアでの事例から、当地の防疫センターには心療医や精神科医のチームを作らせて患者のメンタルケアや社会での教育・啓蒙にあたらせた。デマの払拭や心理社会的(英語版)アプローチの重要性は台湾でも応用できると確信した。 2016年9月2日、CDC副署長だった周志浩が署長へ昇格したことに伴い、周の後任に就任。CDC幹部職としてエンテロウイルス、インフルエンザ、デング熱、チクングニア熱などの感染に対処している。
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