関税引き下げ権限付与による通商協定 1934年互恵通商協定法〜1962年通商拡大法
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このような変化は1934年互恵通商協定法の成立により決定的になった。議会は大統領へ一定の授権期間に限り、関税設定の権限を委譲し、関税は大統領による他国との二国間の「交渉による関税」となった(締結した貿易協定は上院承認を必要しない。)。大統領は1930年関税法の個々の関税率を、交渉相手国の関税引き下げや輸入制限撤廃を条件に、50%の範囲内で引き下げることが可能となった。すなわちアメリカの関税は、議会ではなく大統領(行政府)により、他国と互恵的に調整されるようになったのであり、関税率を包括的に改正する法律は、1930年関税法を最後に制定されることはなくなった。 1934年互恵通商協定法による授権は当初制定の日(1934年6月12日)から3年間とされたが、1937年、1940年、1943年、1945年と延長された。しかし1945年の延長による期限であった1948年6月11日までに延長法が制定されず、引下げ権限は一旦失効した。その後1949年11月26日に延長法が成立し、1951年6月11日まで延長され、その後1951年には、2年間延長となった。1953年においては一旦失効し、8月7日に成立した延長も1954年までの1年間であった。1954年の延長も1年であったが、1955年には1958年6月30日まで延長された。1958年においてまた一旦失効したが8月20日に1962年6月30日まで延長する法律が成立した。 1962年の1月の年頭教書でケネディ大統領が新たな関税引き下げ交渉(後にケネディラウンドと呼ばれるもの)を提唱し、これを受けて大統領に新たな関税引き下げ権限を与える1962年通商拡大法が1962年10月11日に制定され、1967年6月30日までの引下げ権限が大統領に付与された。 このように1934年以降、若干の中断はあるものの、大統領に関税引き下げの権限が付与され、第二次世界大戦前は二国間での関税引き下げ協定が締結され、第二次世界大戦後は主としてガットの関税交渉においてアメリカの関税引き下げの法的根拠となった。 しかし、ケネディラウンドにおいて関税率以外の分野(具体的には、関税評価制度(ASP評価の扱い)及びアンチダンピング関税)について交渉がされ、その合意を実施する段階で、授権の範囲内でないため事後、議会に法改正を要請したが、議会は、ASP 制度の廃止を拒否するとともに、アンチダンピング協定に参加するための立法措置を講ぜず、代わりに国内法と国際協定が対立する場合、国内法が優先するとの法律(1968年再交渉法(Renegotiation Amendment Act of 1968 Pub. L 90-634)を制定し、最後まで議会の承認はされなかった。
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