関東乗合自動車の設立と戦時統合とは? わかりやすく解説

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関東乗合自動車の設立と戦時統合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:11 UTC 版)

関東バス」の記事における「関東乗合自動車の設立と戦時統合」の解説

関東バス歴史は、1931年昭和6年)に「関東乗合自動車」として設立され1932年昭和7年)より新宿駅 - 小滝営業開始したことに始まる。同社地元有志によって設立されたが、創業まもない頃は非常に規模小さ会社であり、一時歯科医社長務めていた。このため営業成績芳しくなく、創業から7年経た1938年昭和13年)には東京横浜電鉄買収され同社傘下収まっている。 「東急バス#旧・東京横浜電鉄のバス事業」も参照 この間に、関東乗合1936年昭和11年)に原町田乗合自動車合併し現在の町田市原町田営業所設けていた。原町田乗合自動車1921年野渡太助創業。のちに平井実造が承継し、1936年4月設立された会社である。しかし町田本社から遠く離れていて運営不都合であったため、1941年昭和16年)には路線原町田 - 図師原町田 - 小野路原町田 - 鶴間駅原町田 - 瀬谷駅)を同じ東京横浜電鉄系の東海道乗合自動車(現:神奈川中央交通)へ譲渡し、わずか5年撤退した詳細は「神奈川中央交通#自主統合の流れ」を参照 この原町田営業所下の路線除けば戦前関東乗合は、新宿から中野区東部にかけての狭い範囲において営業していたに過ぎず路線その後小滝から椎名町(現:目白五丁目)へ延長したり、新宿駅 - 新井薬師口を新たに開業したが、相変わらず小規模なものであった現在のように、中野駅周辺から杉並区武蔵野市方面においても営業するようになったのは、中野乗合自動車進運乗合自動車昭和自動車商会の3社を戦時中1945年昭和20年)に合併したためである(もっと早い時期合併したとする公式資料もある)。 中野乗合自動車は、中野以西早稲田通り周辺運行していた京王電気軌道(現:京王電鉄)系の事業者で、中野区によれば1925年大正14年)に開業した個人経営乗合自動車起源とされる1929年昭和4年)に株式会社となり、路線中野駅 - 石神井中野駅 - 鷺ノ宮駅などであった進運乗合自動車は、五日市街道周辺営業基盤有していた中島飛行機系の事業者である。1920年大正9年2月創業で、杉並区馬橋から現在の武蔵野市にかけての東西長い範囲路線有し馬橋 - 吉祥寺井の頭公園 - 柳橋のほか、西荻窪駅 - 立教高女循環線運行したまた、牟礼 - 烏山 - 丸山寺院通の永願寺前)にも、個人事業者から買収した路線有していた。 昭和自動車商会は、荻窪阿佐ヶ谷周辺営業しており、荻窪駅ターミナル阿佐ヶ谷(現:阿佐谷北六丁目方面青梅街道西荻窪関方面、高井戸方面向かって路線展開していた(これら各社は、一説には全て京王電気軌道系列会社であるとも言われている)。

※この「関東乗合自動車の設立と戦時統合」の解説は、「関東バス」の解説の一部です。
「関東乗合自動車の設立と戦時統合」を含む「関東バス」の記事については、「関東バス」の概要を参照ください。

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