関東中での浪人による騒擾事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 12:14 UTC 版)
「鳥羽・伏見の戦い」の記事における「関東中での浪人による騒擾事件」の解説
11月から12月にかけ、薩摩藩士・鯉渕四郎ら数十人は相模国へいくと、荻野山中藩主・大久保教義が甲府城の勤番のために留守にしていた荻野山中陣屋へ放火し、武器や軍用金を強盗した。薩摩浪人・竹内啓(武蔵国出身)ら数十人は下野国へいくと、薩摩藩と称し大平山(おおひらやま)、岩舟山、出流山(いずるさん)(出流山事件)などによって尊王・討幕と称する集団での騒擾行為をおこなった。また一群の浪人らは上総国、下総国、常陸国水戸へ赴いたが消息をつかめなくなった。薩摩浪人・上田修理らの一群は、甲府城を焼こうとして八王子にやってきたが、江川太郎左衛門の配下に逮捕された。 旧幕府方は壬生藩、館林藩、足利藩ら諸藩に命じ賊徒を追討させ、宇都宮藩には真岡陣屋を警護させた。足利藩兵は関東取締出役・宮内左右平の兵とともに、竹内啓らの賊徒を撃破し、捕縛・斬刑した。12月18日、旧幕府方は歩兵一中隊を戸塚へ派遣して、また似た様な暴行をしている浪人らを追討させた。
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