荻野山中藩主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/05 15:38 UTC 版)
荻野山中に移った後、苦しい藩財政を再建するため、倹約や知行借上げなどを積極的に行なうが、効果はなかった。ほかにも学問・武芸を奨励している。 寛政8年(1796年)7月9日に死去した。享年32。跡を長男・教孝が継いだ。 表 話 編 歴 大久保氏松長藩5代藩主 (1773年 - 1783年)駿河松長藩 大久保教寛1706-1730 大久保教端1730-1742 大久保教起1742-1755 大久保教倫1755-1773 大久保教翅1773-1783 陣屋移転、相模荻野山中藩に 表 話 編 歴 大久保氏荻野山中藩初代藩主 (1783年 - 1796年)荻野山中藩 大久保教翅1783-1796 大久保教孝1796-1845 大久保教義1845-1871 廃藩置県
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