学問・武芸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:05 UTC 版)
1808年に藩校として遵義堂が開かれ、幕末期には蘭学と西洋砲術も教授された。藩儒には、英文学作品を日本ではじめて和訳紹介したとされる黒田麹廬(行次郎。1850年ごろ、『ロビンソン漂流記』を「漂荒記事」のタイトルで翻訳した)や、関藍梁(後述)などがいる。明治・大正期の国粋主義教育者として著名な杉浦重剛は、藩儒の子として生まれて遵義堂に学んだ。 居合剣術の今枝流は、寛永年間に宮津藩士今枝良重・良政父子によって編み出されたが、良政は主家改易に伴う浪人を経て、300石で膳所藩本多家に仕えた。なお、今枝一族からは他の武術をも取り込んだ複数の武術流派が生まれ各地に伝わったが、膳所藩の今枝流は居合剣術の形を保って幕末まで続いた。
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