学問所としての乗誓寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 06:55 UTC 版)
乗誓寺は、浦賀の地に移ってから、民衆に対する学問所としての役割も担っていたという。江戸初期からおこった寺子屋だけでなく、大人を対象として広く学問・文化の門戸を開いた。宗門の学問僧である勧学を初めとして、儒学を講義した記録の残る署名な詩画僧・雲室、『二宮翁夜話』において浦賀の豪商などとのエピソードが残る二宮尊徳、乗誓寺第十五世住職と縁のあった大隈重信らが講義をしたことが伝わっている。 近代では、英語や西洋音楽をいち早く教えるなど学問・文化の最先端を民衆に開き続け、明治初期には現在の浦賀小学校の前身である郷学校がおかれていた。 尚、乗誓寺住職は世襲制により脈々と継承され、平塚より27代、浦賀より18代続く曽我兄弟十郎の子孫である。
※この「学問所としての乗誓寺」の解説は、「乗誓寺」の解説の一部です。
「学問所としての乗誓寺」を含む「乗誓寺」の記事については、「乗誓寺」の概要を参照ください。
- 学問所としての乗誓寺のページへのリンク