開基檀越・総代とは? わかりやすく解説

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開基檀越・総代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 20:26 UTC 版)

立正同心教会」の記事における「開基檀越・総代」の解説

立正同心教会開基檀越家であり代々総代務めた横溝家は、日本塗装発祥の地横浜に於ける塗装業のパイオニアである。明治10年1877年)に初代横溝喜之助によって「渋喜」が設立明治31年1898年)、アメリカ式塗装術を習得した2代横溝次郎が「横溝次郎塗工店」としてこれを継承山手元町・中華街横浜居留地一帯洋館商館塗装一手引き受けた。この業績横浜をして日本塗装発祥の地たらしめた由縁となっている。 更に昭和6年1931年)に3代横溝武雄継承し事業拡大業界組合協会諸事業に積極的に参画する昭和17年1942年)、平沼久成寺中興2世妙光院是の求めに応じて立正同心教会開創全面的に協力し開基檀越となる。昭和23年1948年)には「合資会社横溝塗工店」へと発展昭和42年1967年)には株式会社改組した。また、元町公園に「塗装発祥の地記念碑」を、本覺寺横浜市神奈川区青木町)に「全国塗装業者合同慰霊碑」を建立するなど、業界全体物心両面亘る向上に多大な貢献果たした。これらの功績認められ建設大臣表彰黄綬褒章紺綬褒章勲五等瑞宝章受賞した横溝3代業績基盤とし、4代横溝武矩と5代横溝隆雄が事業継承拡大今日隆盛確立し現在に至っている。 また三十番神像を寄進した総代増田家は“日本潜水の祖”と謳われる増田萬吉輩出している。増田萬吉は、横浜居留地英一番館番を務めた後、和蘭八番館の番頭となりオランダとの貿易一手に担う事となった。明治5年1872年)に10台のイギリス製のヘルメット潜水器ゴム潜水服輸入した事を端緒に、自ら製造にも着手。これが日本に於ける本格的な潜水先駆となった。またゴム潜水服製造は、日本ゴム工業始まりとも言われている。 その後和蘭八番館主のノールトフーク・ヘフトの紹介横浜居留地一帯清掃業請け負う事となり、明治16年1883年)に薩摩町消防組頭の石橋六之助と共に両名社」及び「横浜商館組」を創設清掃消防事業とした。その後明治22年1889年)に「内外潜水請負会社」を創立明治28年1895年)には「沈没船艦引上合会社」の潜水部主任として活躍し横浜築港帷子川導水堤工事多大な貢献果たした。これらの業績から“日本潜水の祖”として称えられ事となった。

※この「開基檀越・総代」の解説は、「立正同心教会」の解説の一部です。
「開基檀越・総代」を含む「立正同心教会」の記事については、「立正同心教会」の概要を参照ください。

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