金沢電気瓦斯の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:32 UTC 版)
「金沢市営電気供給事業」の記事における「金沢電気瓦斯の発展」の解説
詳細は「金沢電気瓦斯」を参照 1893年(明治26年)9月、石川県より「金沢電灯」発起人らに対し電灯営業の認可が下りた。発起人は江戸時代から続く菓子商「森八」の当主12代森下八左衛門らで、犀川から取水する寺津用水での水力発電所建設を目指すが、日清戦争その他の影響で1894年(明治27年)9月に事業中止が決まった。その一方で、旧加賀藩の士族で殖産興業政策に積極的であった当時の金沢市長長谷川準也は市営による電気事業を企画、金沢電灯の発電所計画を踏襲して事業の具体化を進め、1895年(明治28年)7月には市債の起債と発電所市営建設を市会で議決させた。そして翌1896年(明治29年)7月、金沢市に対して市内を供給区域とする電気供給事業の経営が逓信省より認可されるに至った。 ところが金沢市営の電気供給事業計画も、日清戦争後の物価高騰で予算が膨張した結果資金調達の目途が立たなくなり、結局民間に事業を任せることになった。1897年(明治30年)11月、森下八左衛門ら「金沢電気」発起人への事業継承が認可される。しかし会社設立は1年ずれ込み、1898年(明治31年)11月にようやく金沢電気株式会社が設立をみた。2年後の1900年(明治33年)になって辰巳発電所が完成、同年6月25日金沢電気は開業した。 開業後の金沢電気の事業は次第に拡大し、電気事業以外にも金沢市内における都市ガス供給事業のを取得して1908年(明治41年)に金沢電気瓦斯へと改称、同年11月から兼営ガス供給事業を始めた。1911年(明治44年)には手取川にて福岡第一発電所が運転を開始する。その後も大戦景気下の需要急増にあわせて手取川水系にて福岡第二発電所・吉野第一発電所・市原発電所が完成している。1921年(大正10年)6月末の時点で、金沢電気瓦斯の供給区域は金沢市内のほか石川郡・河北郡・能美郡に広がり、県南部の小松電気・大聖寺川水電やさらには能登半島の能登電気にも送電していた。
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