金沢高校相撲部時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 09:11 UTC 版)
金沢高校相撲部に入部した石浦は、岡から壁に向かってひたすら四股を踏むことを命じられた。この教えは雑念を捨てて集中して四股を踏むやり方として後の鳥取城北での指導に生きている。石浦の稽古の成果が最初に現れたのは2年生の時の石川県大会であり、この時はなぜか強いはずの先輩が負けてしまい、自分でもよくわからないうちに勝ち進んで準優勝を果たせた。しかしこの時は「口惜しかったら優勝しろ」という考えから、岡はインターハイへは石浦ではなく先輩を出場させ、さらに「でも、来年3年生になって、お前が負けて後輩が優勝しても、かわりにおまえ行けっていうことはしないからな」と言った。悔しくて稽古を積んだ石浦は、当初55㎏であった体重を70㎏まで増やし、その甲斐あってか3年生の時の石川県大会では見事に優勝を果たし、岡は「ほんとに強くなったな」と自分のことのように喜んでくれた。
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