選挙連合「民主連合」
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「国民同盟 (スペイン)」の記事における「選挙連合「民主連合」」の解説
1977年の総選挙の結果ははかばかしくなく、国民同盟は次期総選挙のための選挙連合の構築に動き始めた。選挙連合の名称は「民主連合」(Coalición Democrática、略称CD)で国民同盟のほかに自由市民行動(Acción Ciudadana Liberal)、進歩民主党(Partido Democrático Progresista)、スペイン変革(Renovación Española)、カタルーニャ国民党(Partido Popular de Cataluña)などが結集、首相候補には国民同盟のマヌエル・フラガがついた。総選挙の結果は、1,094,438票(6.10%)、下院議席10を獲得したが、1977年の選挙での国民同盟の獲得票を500,000票下回り、議席数でも6議席を失った。上院での議席は3であった。 1979年12月には国民同盟の第3回党大会が開催、マヌエル・フラガを党首に、ホルヘ・ベルストリンヘ(Jorge Verstrynge)を幹事長に選出した。また選挙連合でともにたたかった自由市民行動は国民同盟に合流した。また、同年4月に行われた自治体選挙(elecciones municipales de España de 1979)ではガリシア州以外では惨憺たる結果であった。 1980年のカタルーニャ州議会選挙(elecciones al Parlamento de Cataluña de 1980)では、カタルーニャ連帯(Solidaritat Catalana)の候補を支援したが、得票は64,004票(2.37%)で、議席確保には至らなかった。1981年のガリシア州議会選挙(elecciones al Parlamento de Galicia de 1981)では勝利、ヘラルド・フェルナンデス・アルボールがガリシア自治州政府首班に就任した。 民主中道連合政権の瓦解後、国民同盟は民主中道党を構成していたいくつかの党派(国民民主党 (スペイン)(スペイン語版)略称PDP、自由党 (スペイン、1976年)(スペイン語版)略称PL)のほかいくつかの右派地域主義政党(バレンシア連合(スペイン語版)略称UV、ナバーラ住民連合略称UPN、アラゴン地域主義党(スペイン語版)略称PAR)と選挙連合「国民連合」を結成し、次期総選挙の準備を進めていった。1982年の総選挙では国民同盟はAlianza Popular-Partido Demócrata Popular (AP-PDP)(国民同盟-国民民主党)として(協力地域主義政党の地元ではAP-PDPにそれぞれの略称PAR、UV、UPNを付加して)選挙に臨んだ。また、バスク州では民主中道連合と共闘した。選挙結果は5,548,107票(26,36%)を獲得し、107議席を手中にし、野党第一党へと躍進した。 上院では「民主連合」時代より51議席多い54議席を獲得した。議席の内訳は国民同盟が下院84議席、上院41議席、国民民主党が下院14議席、上院10議席、ナバーラ住民連合が下院2議席、上院1議席、アラゴン主義党が下院2議席、上院2議席、そしてバレンシア連合には下院2議席、そして下院2議席が元自由党で、この後自由連合 (スペイン)(スペイン語版)(UL)を構成することになる、独立系自由主義者に割り当てられた。 1983年5月に行われた地方選挙では、バレアレス諸島州と(Elecciones al Parlamento de las Islas Baleares de 1983)とカンタブリア州(Elecciones al Parlamento de Cantabria de 1983)の州議会選挙で国民同盟は勝利し、両自治州の首相の座を手中にした。また、同時に行われた自治体選挙では、第2位の座を確保、50ある県都のうち12で市長の座を得た。 党首のフラガと幹事長のベルストリンヘは1981年の第4回党大会以来、1982年第5回党大会、1984年第6回党大会、1986年第7回党大会で再任されたが、1986年9月ホルヘ・ベルストリンヘは考え方の違いによって、幹事長職をアルベルト・ルイス=ガジャルドンに譲ることとなった。
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