選挙連合「国民連合」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 21:51 UTC 版)
「国民同盟 (スペイン)」の記事における「選挙連合「国民連合」」の解説
1986年の総選挙では、前回1982年の総選挙同様選挙連合で選挙戦を戦った。今回の選挙連合の名称は国民連合(スペイン語版)(CP)で、民主連合(CD)に参加したアラゴン党が離脱し、ガリシア中道党(ガリシア語版)(CdG)が新たに参加した。候補者リスト筆頭は引き続きマヌエル・フラガであった。結果は5,247,677票(25.97%)を獲得、下院で105議席、上院で63議席で、再び野党第一党に終わった。議席配分は、国民同盟が下院69議席、上院44議席、国民民主党が下院21議席、上院11議席、自由党が下院12、上院7、ナバーラ国民連合が下院2、ガリシア中道党が上下両院各1議席であった。 1986年に行われた北大西洋条約機構(OTAN)加盟に関する国民投票(Referéndum sobre la permanencia de España en la OTAN)においては、国民同盟は棄権、もしくは白票を投じることを訴えた。 1986年9月フラガ・イリバルネは党内ナンバー2の幹事長にホルヘ・ベルストリンヘに替えてアルベルト・ルイス=ガジャルドン(スペイン語版)を起用した。 同年12月、11月に行われたバスク州選挙(Elecciones al Parlamento Vasco de 1986)での惨敗を受けてマヌエル・フラガは党首を辞任することを発表した。 フラガの辞任と、そして1982年と1986年の総選挙において2度にわたって社会労働党(PSOE)の後塵を拝した結果に終わったことは、国民同盟に深刻な危機をもたらした。 1987年2月第8回党大会が開かれ、アントーニオ・エルナンデス・マンチャ(スペイン語版)が対立候補ミゲル・エレーロ・イ・ロドリゲス・デ・ミニョン(スペイン語版)を下し、党首に就任、そして幹事長にはアルトゥーロ・ガルシーア=ティソン(スペイン語版)が選ばれた。この年には国民連合を離脱した自由党が招かれている。 1987年のラ・リオハ州(Elecciones al Parlamento de La Rioja de 1987)とカスティーリャ・イ・レオン州(Elecciones a las Cortes de Castilla y León de 1987)の州議会選挙においては、ラ・リオハ州では1票差の第2党でリオハ党(スペイン語版)(PR)と、カスティーリャ・イ・レオン州では同数の第1党の結果で民主中道連合とそれぞれ連立し、政権に就いた。
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