運動としての展開とは? わかりやすく解説

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運動としての展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 14:11 UTC 版)

プロレタリア文学」の記事における「運動としての展開」の解説

1924年雑誌文芸戦線』が創刊された。これは、新しプロレタリア文学中心的な雑誌となった平林初之輔青野季吉が、理論的な面での論陣をはった。特に青野の〈「調べた芸術の提唱は、作家たちの創作意欲高めた葉山嘉樹が「淫売婦」を、黒島伝治が「豚群」を書くなど、新し作家たちも登場した。 しかし、それと同時に政治運動流れ影響される傾向あらわれた。特に、この時期社会民主主義系共産主義系との対立政治分野あらわれたことが、プロレタリア文学陣営のなかに対立呼び起こすことにもなった。1927年には「労農芸術家連盟(労芸)」(葉山嘉樹など)、「日本プロレタリア芸術連盟プロ芸)」(中野重治など)、「前衛芸術家同盟前芸)」(蔵原惟人など)の三つ団体分立する状態であった1928年に、蔵原はこうした事態打開しようと、既存組織そのままにしての連合体結成呼びかけた。それに応えて3月13日に、日本左翼文芸家総連合が結成された。しかし、この呼びかけに対して、『文芸戦線』に拠っていた「労芸」のグループ積極的な参加意思表示をしなかった。それが、その直後の、三・一五事件弾圧契機とした「プロ芸」と「前芸」との組織合同に、「労芸」が冷淡な態度とりつづけたことともつながっていく。 1928年3月、「プロ芸」と「前芸」は、組織的に合同して、新たに全日本無産者芸術連盟(Nippona Artista Proleta FederacioNAPFナップ)を結成したナップは『戦旗』を機関誌にした。ナップ権威をもったのは、小林多喜二徳永直という、二人新進作家によるところが大きい。多喜二は「一九二八年三月十五日」「蟹工船」と立て続け中篇小説を、直は長編太陽のない街」を連載し、『戦旗』をプロレタリア文学代表的な雑誌とした。そのため、黒島伝治のように『文芸戦線』派からも『戦旗』に変わっていくものもあらわれたし、ソ連から帰国した中条百合子や、芥川龍之介論じた「『敗北』の文学」で『改造』の文芸評論入選した宮本顕治などの書き手も、作家同盟参加していった。『戦旗』では、文学社会運動の場にひろげるために、〈壁小説〉という、工場の壁に貼ったり、ビラにして配布できる掌編小説形式提唱もした。 この時期には、『文芸戦線』のほうも、岩藤雪夫伊藤永之介のような堅実な作家たちが活躍したが、代作事件起こすような親分子分の関係が強く、それが『戦旗』ほどの評判呼ばない一因でもあった。 1930年ひそかにソ連渡航しプロフィンテルン会議参加した蔵原は、帰国後の1931年文学組織大衆化提唱した。これは、工場農村文学サークル組織し、そこを新し書き手読者供給源にしようとしたのだった弾圧予想される中で、そうした組織化への批判もあったが、あたらしく日本プロレタリア文化連盟Federacio de Proletaj Kultur Organizoj JapanajKOPFコップ)が結成された(1931年11月)。文学だけでなく、ほかの芸術ジャンル組織つくられた。

※この「運動としての展開」の解説は、「プロレタリア文学」の解説の一部です。
「運動としての展開」を含む「プロレタリア文学」の記事については、「プロレタリア文学」の概要を参照ください。

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