通信施設の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 01:03 UTC 版)
旧陸軍が1938年(昭和13年)に建設した柏飛行場は、敗戦のため1945年(昭和20年)10月20日にアメリカ陸軍第112騎兵連隊戦闘団(112th Cavalry Regiment Combat Team)の機関砲中隊によって占領されたが、11月には食糧増産緊急事業として農地転用が決定された。この決定によって、周辺に居住していた旧小作農や引揚者、旧軍人・軍属などが入植して開拓が始まり、間もなく占領部隊は撤退した。その後、柏飛行場は1947年(昭和22年)に大蔵財産から農林財産に所管換えされ、1949年(昭和24年)、農地として柏地区開拓農業協同組合に売渡された。 しかし、翌1950年(昭和25年)6月に朝鮮戦争が勃発したことから、アメリカ軍は同年7月10日に旧柏飛行場の中央部分に位置する開拓農地約5,000坪を通信施設用地として接収し、さらに翌年6月10日には、用地拡張のため開拓農地のほぼ全域に相当する約56万坪の土地を接収した。これらの接収財産は事実上使用されない状態が続いていたが、1952年(昭和27年)7月26日、日米行政協定第2条第1項に基づく政府間協定(「個々の施設及び区域に関する協定」)が締結されたことにより、無期限使用施設としてアメリカ軍に提供することが決定された。また、同年12月3日には施設・区域の規模が最終決定され、旧柏飛行場総面積約264haのうち、約188haが通信施設用地として提供されることになった。 土地所有者からはこのような措置に反対する動きが起きたが、施設・区域内の民有地は、オペレーションエリア(通信作業地区)敷地のみを買収し、アンテナフィールドは賃貸借契約とする方針が通知され、専用地区(立入禁止地区)以外は従来通りの農耕・居住・通行を認める使用条件が設けられることになった。アメリカ軍は、東京都江東区辰巳に設置していた無線送信所の代替施設を必要としていたため、早期提供を求めて1953年(昭和28年)1月19日から使用準備に向けた立入調査を実施し、旧飛行場兵舎地区に残っていた給水塔も追加提供されることとなった。その後、土地所有者との折衝が妥結したことを受けて、同年10月1日から通信施設の建設工事が開始された。
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