近代劇協会時代とは? わかりやすく解説

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近代劇協会時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:43 UTC 版)

山川浦路」の記事における「近代劇協会時代」の解説

1910年長女袖子出産し、母に預ける。同年演劇研究所試演会にて、イプセンの「ヘッダ・ガプラー」の翻案鏑木秀子」で主役演じる。浦路という芸名は、赤ん坊のころに引き離され草人生みの母の名、角川浦路から取った草人メーキャップ研究化粧品開発に熱心で、浦路両親資金援助得て新橋舞台用化粧品販売する「かかしや」を開店草人考案眉墨人気集め繁昌した浦路女優業傍ら、女店主として立ち働いた1912年蕗子出産、母に預ける(のちに養女に出す)。翌年草人から衣川孔雀愛人関係になったことを打ち明けられ三人共同生活が始まる。次男観樹出産母親預ける(夭折)。夫が設立した近代劇協会芝居衣川とともに出演森鷗外訳したファウストマクベス人形の家などで大役演じた衣川妊娠したことで草人との関係が周囲にばれてスキャンダルになり、劇団脱退者続出公演不発終わり資金繰り窮する資金集めスキャンダル鎮静化待って近代劇協会地方巡業旅立ち韓国満州台湾にも足を伸ばす1916年女児(ぎん子?)を生むが、人に預ける。このころから衣川孔雀人気女優として忙しくなる一方浦路リューマチなどの病気のために舞台から一時遠ざかる草人女性対す執着が非常に強く衣川人気になるにつれ、彼女を繋ぎとめるために刃物沙汰や、愛を誓う血判書を毎月かせたりなど異常な行動をとる。夫の愛を奪われた形となった浦路だが、変わらず夫と店を支え衣川とも共演し周囲からは何か割り切っているように見えたらしい。結局衣川には歯科医恋人ができ、草人別れて結婚草人衣川振られ苦しみから、自伝蛇酒』『煉獄』を執筆浦路口述筆記するなど手伝っている。1918年、竹三郎出産左官業夫婦預ける。このころ近代劇協会には、伊沢蘭奢浦路の妹の上珊瑚参加して好評集めたが、新劇ブーム1913年ピーク下火になるばかりで、劇団経営火の車だった。

※この「近代劇協会時代」の解説は、「山川浦路」の解説の一部です。
「近代劇協会時代」を含む「山川浦路」の記事については、「山川浦路」の概要を参照ください。

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