輸送人員の激減
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 06:18 UTC 版)
沿線のニュータウン開発により、粟生線は昭和40年代から輸送人員が急増し、車両の増結や複線化等の輸送力増強工事が進められた。しかし、1990年代後半からニュータウン在住者の定年退職や少子高齢化による影響で輸送人員は激減、複線化工事は中断された。輸送能力に見合った利用がなくなり、輸送力増強費用の回収が滞り、赤字が常態化した。神戸電鉄の路線全体を支えてきた有馬線の利用も急減、2000年代に入ると粟生線の存続が困難な状態に陥った。その後も状況は悪化の一途を辿り、危機的な状況が続いている。各種企画乗車券の発売や沿線ハイキングの実施等による観光需要の開拓にも取り組んでいるが、沿線はもともと集客力のある観光スポットに乏しいため、長期的な需要の創出には至らず、神戸電鉄の経営努力のみで路線を維持することは極めて困難になっている。 粟生線の年間輸送人員は1992年度の1420万人がピーク、その後は数年横ばい状態であったが、1996年度以降は輸送人員減に転じた。毎年1〜1.5%程度という通勤・通学に相当する年齢の沿線人口の減少などの影響を受け、2007年度にはピーク時の約半分の743万人に、2008年度には729万人にまで減少している。2009年度上半期(4月 - 9月)の輸送人員は対前年同期比4.5%(約17万人)マイナスとなっている。西神ニュータウンの発展・定着により粟生線沿線への転居が減少したほか、阪神・淡路大震災以降神戸市都心部の雇用創出力が弱まったことで、若い世代が就学・就労を機に沿線を離れる傾向が強まり、輸送人員の減少は止まらなかった。2009年3月、阪神なんば線開業にあわせたダイヤ改正を行い、乗り換え駅での他社線との接続を改善し、また同年4月には幅広い観点から鉄道事業の経営改善と将来計画を検討する社内組織を新設したものの、抜本的な乗客減への対策は打ち出せなかった。 1998年度の時点で既に年間6.8億円の赤字が出ており、2001年度からは毎年年間10億円以上の赤字を計上している状況である。特に2006年度と2007年度はともに過去最悪の年間12.7億円の赤字を計上しており、1998年度から2007年度の10年間だけでも約102億円もの累積赤字を抱えている。2008年度も、年間収入約21億円に対し支出は約34億円であり、12.7億円の赤字を計上している。加えて2004年度からは神戸電鉄が出した再生計画により国や兵庫県、神戸市・三木市・小野市から赤字補填のための補助金を受け、辛うじて路線を維持したが、当該計画による補助は2009年度で終了した。
※この「輸送人員の激減」の解説は、「神戸電鉄粟生線」の解説の一部です。
「輸送人員の激減」を含む「神戸電鉄粟生線」の記事については、「神戸電鉄粟生線」の概要を参照ください。
- 輸送人員の激減のページへのリンク