路面電車の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 23:39 UTC 版)
第一次世界大戦期の混乱を経て、1920年代以降ザグレブ市電は都市の拡大と共に大規模な発展を始めた。1924年から各地で路線の延伸が相次いで行われたことに加え、1936年にはトレシュニェフカ(Trešnjevačka)に車両基地が建設され、2020年現在に至るまで80年以上に渡り使用が続いている。車両についても1922年に初めての国産車両となったM-22(クロアチア語版)がザグレブ市電の工場で製造された後、1926年にザグレブ市内が右側通行へ改められたのを機に、それに対応した半鋼製車両のM-24(クロアチア語版)が作られた。 第二次世界大戦以降、ザグレブがユーゴスラビアの都市となって以降も路面電車の発展は続き、1963年まで多数の路線が延伸された。車両についても制動装置、救助網を始めとした安全性の強化を図った初のボギー車・TMK 101が1951年に製造され、以降は1970年代までザグレブ市電の車両はジュロー・チャコビッチ工場(英語版)(Đuro Đaković)で製造された。だが、同年代には生産数や製造価格の上昇が課題なったことで、ZETは同社との契約を打ち切り、1977年以降はチェコスロバキア(現:チェコ)に存在したČKDタトラ製の電車(タトラカー)が導入された。また、1960年代以降しばらく行われなかった新規路線の建設も1970年代後半に再開され、1990年まで複数の区間の延伸が行われた。これに合わせて、1980年にはドゥブラヴァ(Dubrava)に新たな車庫が増設されている。 TMK 101は長期に渡って使用された(2000年代撮影) 1970年代後半以降はタトラカーの大量導入が実施された(2005年撮影)
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