路面電車の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 04:01 UTC 版)
「シュヴェリーン市電」の記事における「路面電車の進展」の解説
シュヴェリーンの路面電車は開業以降その利便性から多数の乗客を抱え、1909年の年間利用客数は180万人を記録した。路線についても延伸が続き、1910年の時点で4系統が運行していた。1911年に実施されたポンメルン州(ドイツ語版)の貿易展示会に併せて5号線も開通し、路線延長は12.7 kmに達したが、同系統は展示会終了後早期に廃止された。更に第一次世界大戦や敗戦後の不況の影響で4号線も廃止されたほか、電力不足による長期運休も起きた。1921年にはシュヴェリーンのリゾート地であるツィッペンドルフへの延伸が実施されたが、ハイパーインフレーションの影響は大きく、1922年から1923年にかけて3号線以外の路線は運行を停止する事態に陥った。 その後、1925年までに全区間の運行が再開され、以降は再度路線網の拡張が行われたものの、1935年以降シュヴェリーン市は路線バスの運行を開始し、翌1936年以降多くの路線がバスに置き換えられて廃止され、1938年の時点で3号線のみが運行する状態となり、廃止された区間の線路や架線はロストックへと売却された。状況が変化したのは第二次世界大戦後、燃料不足が深刻さを増すようになってからであり、1940年には一度廃止された2号線が運行を再開した。だが、1945年4月7日の空襲によりシュヴェリーン市内は甚大な被害を受け、路面電車を含めた公共交通網は全て運行を停止した。 開通初期のシュヴェリーン市電(1909年撮影)
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