足あと・手のあとを残すとは? わかりやすく解説

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足あと・手のあとを残す

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:59 UTC 版)

ダイダラボッチ」の記事における「足あと・手のあとを残す」の解説

上州赤城山腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡水たまりになった木部赤沼がそれである。 長野県大町市北部青木湖中綱湖木崎湖からなる仁科三湖はいずれダイダラボッチ足あとである。 遠州山奥住んでいたダイダラボッチ子供たちを手にのせて歩いている時に、腰くらいの高さの山をまたいだ拍子子供たちを手から投げ出してしまった。びっくりした子供たちダイダラボッチ泣き出してしまい、手をついてできた窪みに涙が流れ込んで浜名湖となった。 現在、東京都世田谷区にある地名代田」(だいた)や、さいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)は、ダイタ坊(ダイダラボッチ、ダーダラボッチ)の足跡由来すると言われている。なお、代田ダイダラボッチについては2021.3.28日に小田急線世田谷代田駅前にダイダラボッチかたどった駅前広場完成した。これを記念して当日づけで『巨人伝説読本 代田ダイダラボッチ』(著作:きむらけん発行:世田谷代田駅 駅前広場記念事業委員会)が発行された。「代田ダイダラボッチ音頭」も作曲された。 長野県戸隠山大座法師池三重県志摩郡大王町ダイダラボッチ由来する地名である。 静岡市だいらぼう山頂には全長150mほどの窪みがあるが、ダイダラボッチ左足置いた跡と伝えられている。琵琶湖から富士山へ土を運ぶ途中遺したものであるという。 相模原市伝説ではデイラボッチと呼ばれ富士山持ち上げ違う場所に運ぶ途中疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまいもちあげようとするが、持ち上がらずそのときふんばった所が今の鹿沼公園であるという。また、相模原市南区に「大沼小沼」の地名が残るが、かつて実在したこの二つの沼はデイラボッチが尻餅をついた跡であり、その間に「ふんどし窪」という溝状のくぼ地があったという伝承もある。 小便をしようと飯野山香川県中部)に足をかけた際に山頂付近足跡付いた(現在もその跡であるという伝説足跡残っているが非常に小さい)。なお、その小便の際に出来たのが大束川といわれる愛知県東海市南側加木屋町陀々法師だだぼうし)という地名があり、ダイダラボッチ歩いて移動する際に出来た足跡が池になったとして伝説残っている。この「足跡池」(「陀々法師池」ともいう)は名古屋鉄道八幡新田駅南方100m辺りにあったが、19861987年昭和6162年)頃に埋め立てられゼンリン住宅地図東海市1986年発行1986年版、1987年発行1988年版による)、2000年平成12年)頃にモータースが出来て、現在その形跡はない(「ものがたり通信」の「18.ダイダラボッチ足跡参照)。 長野県佐久市安原にある二つの丸い水田は、デーラン坊の足跡と言われる比叡山につまづいて怒って蹴っ飛ばした地面空いた穴が琵琶湖飛んで行った土塊淡路島になった

※この「足あと・手のあとを残す」の解説は、「ダイダラボッチ」の解説の一部です。
「足あと・手のあとを残す」を含む「ダイダラボッチ」の記事については、「ダイダラボッチ」の概要を参照ください。

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