越後アンギンの発見とは? わかりやすく解説

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越後アンギンの発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 18:57 UTC 版)

編布」の記事における「越後アンギンの発見」の解説

唯一近代までアンギン生産使用されていたことが確認されている信濃川流域では、新潟県東頸城郡中魚沼郡北魚沼郡南魚沼郡でのみ実際に生活のなかで使用されてきた近代アンギン発見されており、大正年間から昭和初期には廃れたものと考えられている。この地域アンギンは、経糸丈夫さ求め緯糸は布の柔軟性生み出す工夫がされ、緯糸にはイラクサアオソ繊維用いられていた。 1906年明治39年)、新潟新聞記者であった小林存当時28歳)は、『秋山記行』(鈴木牧之・著、文政11年)に寒中防寒着として紹介された「網衣(あみきぬ)」に関心持ったことから「秋山部落探検紀行文新潟新聞連載するなど郷土研究への道を歩み始め1935年昭和10年1月新潟県郷土研究誌高志路』を創刊する当時58歳)。小林1947年昭和22年)から1953年昭和28年)にかけて文献調査通してアンギン模索し1890年明治23年刊行の『温古の栞 拾壱篇』(温古談話會)で紹介され民謡歌われた布を、『秋山記行』の「編衣」と同定しアンギンを「織り布より古い時代誕生した編み衣である」と位置づける考え到り、この見解1954年昭和29年1月の『民間伝承第18巻1号の「方言解説」のなかで「アンキンは編み衣なり」と定義し初め公に示された。 論考発表先立つ1953年昭和28年)、小林十日町市原田旅館拠点中魚沼郡内の山村地域調査行い5月アンギン残欠実物)を発見同年9月に完全な状態のアンギン発見するに至る。発見場所津南町結東であった同年小林新潟県民俗学会を創設し、『高志路』はこの新潟県民俗学会の会誌引き継がれ2016年平成28年時点400号を数えた新潟県最初アンギン発見地となった津南町では、これを町のシンボル位置づけ2012年平成24年)頃に町の農業縄文民俗体験学習施設「農と縄文体験実習館 なじょもん」を開館文化財管理研究をすすめるとともに縄文時代文化歴史親し様々な企画展ワークショップ実施している。

※この「越後アンギンの発見」の解説は、「編布」の解説の一部です。
「越後アンギンの発見」を含む「編布」の記事については、「編布」の概要を参照ください。

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