赤穂城引き渡しとは? わかりやすく解説

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赤穂城引き渡し

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:32 UTC 版)

赤穂事件」の記事における「赤穂城引き渡し」の解説

これらの議論が行われるのと並行して収公向けた手続きが行われた。 まず、藩札引き換え方針早々に決定された。藩庁は、藩札交換レート六分、つまり額面価格の6割と定め改易の報が赤穂届いた20日から換金応じた。この比率は他の藩札処理の事例比べて破格の高さであった。このとき大石内蔵助次席家老大野九郎兵衛相談し広島浅野本家不足分の金の借用を頼むことにした。広島藩藩主不在であることを理由にしてこれを断ったという説もあるが、赤穂改易後広島藩鴻池家からの借財桁違い増加している。また、延宝8年赤穂藩藩札広島藩(現在は広島市)に残っており、浅野本家からの援助があった裏付けとなっている。この件に限らず広島藩は、自藩に累が及ぶのを恐れ赤穂藩一貫して冷ややかな態度をとり続けた。 そして、城に収められ武器については、城付き武具のほかは売り払い許可がでたため、浅野家が赤穂入藩時に改易となった池田輝興から引き継いだ分の武器以外は、大坂商人落札した。 これらの実務作業のほか、必要とされる書類については、元禄7年1694年)の備中松山藩転封の際に浅野内匠頭受け取り担当大石以下赤穂藩士もこれに関わっていたため、書類作成スムーズに進んだ4月19日幕府派遣の受城目付荒木政羽榊原政殊代官石原正氏、受城使脇坂安照木下㒶定立会いの下、赤穂城引き渡しが完了した。この引き渡しは特に厳戒態勢行われ脇坂木下がともに軍勢引き連れてきたほか、近隣岡山姫路明石徳島高松丸亀松山各藩陸上海上軍勢を展開させた。 その後大石一部藩士は遠林寺会所間借りして残務作業続け5月18日全ての書類引継ぎ終了した同日奉行小役人魚料理振る舞われ士分のものには金子渡された。 赤穂城脇坂家預かりとなったが、のちに在番中の重臣が突如乱心して刃傷事件起こし赤穂城内で死傷者を出す(脇坂赤穂事件)。この際に、赤穂事件までの浅野家治資料龍野持ち去られ、現在もたつの市所有し続けている。

※この「赤穂城引き渡し」の解説は、「赤穂事件」の解説の一部です。
「赤穂城引き渡し」を含む「赤穂事件」の記事については、「赤穂事件」の概要を参照ください。

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