資源としてのマンガン団塊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 09:28 UTC 版)
「マンガン団塊」の記事における「資源としてのマンガン団塊」の解説
マンガン団塊の開発への関心の高まりは、1960年代と1970年に鉱業団体の間で大きな活動を起こした。有望な資源を調査し、採掘と精錬の技術を研究開発するために数億ドルもが投資された。初期の実験は、アメリカ合衆国、カナダ、イギリス、西ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリア、日本が参加する四つの国際団体(国際コンソーシアム)と、フランスと日本の私企業と機関によって主になされた。また、公的資金が投入されている機関がソビエト連邦、インド、中国にあった。 1970年代の中盤、7,000万ドルの国際合弁事業は数トンものマンガン団塊を東赤道太平洋の深海平原(深さ5,500m以上)から採取することに成功した。集められたマンガン団塊から、多くの量のニッケル(このプロジェクトでの一応の目的金属)と銅、コバルトが乾式冶金と湿式冶金の両方で抽出された。この8年間のプロジェクトにはいくつかの開発が付随して実施され、これには、曳航されたサイドスキャンソナーの配列でシルト上の団塊の数密度を評価し、同時に垂直向きの誘導低周波音響ビームによるサブボトムプロファイリングを行ったことなどがある。 しかしこのプロジェクトで養われた技術とノウハウは一度も商業化されていない。というのも最近(2000年ごろ)の数十年、ニッケルの生産は十分であったからである。 35億ドル(1978年)と見積もられる投資額も、商業化が難しい要因の一つである。住友金属鉱山は、地位を維持する程度の小規模な採掘技術に関する研究を続けている。 鉱物資源として注目されているのは下記の地域である。資源量と金属含有量の観点から見れば、ハワイと中央アメリカの間にある東赤道太平洋のクリッパートン断裂帯のものが最も有望とされる。 北中央太平洋 南太平洋のペルー海盆 中央および北インド洋 南鳥島の東の海底
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