豊島屋の創業とは? わかりやすく解説

豊島屋の創業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/19 14:44 UTC 版)

豊島屋の白酒」の記事における「豊島屋の創業」の解説

豊島屋関東大震災第二次世界大戦による空襲などの影響古記録失っているものの、創業1596年慶長元年)までさかのぼることができる。創業の地は、江戸城外堀沿いの鎌倉河岸であった。この鎌倉河岸江戸城普請修理のために城の内堀造られたもので、相模国から船で運ばれてきた資材鎌倉商人たち取り仕切っていたことからそう呼ばれるようになったと伝わる。 豊島屋初代右衛門は、常陸国現在の茨城県石岡市と伝わる)の出身であった。十右衛門鎌倉河岸で、酒屋立ち飲み屋兼ねた商い始めた当時は「下り酒」といわれた灘や伏見の酒を安価に売り儲けはその空を売ることで出していた。 元文年間1736年1741年)の初めごろに豊島屋は店を改造して豆腐作るようになり、店頭ではその豆腐焼いて田楽売り出した自家製豆腐使って安価売り出した田楽加えて酒も安く提供したため、世間評判となった。店には近くで働く職人たちは言うに及ばず武士たちもこぞって店を訪れるほどであった文化文政期1804年-1829年)に書かれた『我衣』という随筆では、当時の店の賑わい次のように描写している。 片見世豆腐作り酒店にて田楽をやく、豆腐一丁十四に切る、甚だ大きなり豆腐外へは売らず手前田楽斗也。(中略田楽大きく安くみせ、酒も多くつぎて安く売ゆへ、当前には荷商人、中間小者馬士駕籠の者、船頭日傭乞食の類多くして、門前売物下しをきて酒をのむ。 — 『我衣豊島屋樽酒売値も他の店より安価だったため、大名屋敷からの注文も来るようになった豊島屋の酒は、旗本役人寄合があるときには必ずその場出されるほどに信用されていた。新川筋の酒問屋が、金回り悪くなった際に原価割れで酒を豊島屋持ち込むと、量の多寡問わずにすべて引き取った引き取った酒は一両日中全部飲みつくされていたほどの人気であり、食文化研究家永山久夫は「酒の「薄利多売現金安売り」の元祖」と指摘している。 豊島屋寛政の改革1787年-1793年)の時期に「江戸商人十傑」(勘定所御用達10商人)に挙げられるまでになり、徳川幕府財政金融政策にも協力求められるようになった1824年文政7年)に大坂中川芳山堂が出版した江戸全域買物案内書江戸買物獨案内』では、鎌倉河岸には醤油問屋豊島屋右衛門)、明問屋豊島屋右衛門)、下り問屋豊島屋甚兵衛)、畳表問屋豊島屋甚兵衛)、瀬戸物問屋豊島屋鉄五郎)、蕨縄問屋豊島屋鉄五郎)などの豊島屋一族が店を並べていた。そのため、鎌倉河岸ではなく豊島屋河岸と言われるほどであった

※この「豊島屋の創業」の解説は、「豊島屋の白酒」の解説の一部です。
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