諜報用の娼館というアイデアとは? わかりやすく解説

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諜報用の娼館というアイデア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:56 UTC 版)

サロン・キティ」の記事における「諜報用の娼館というアイデア」の解説

要人たちが使うような高級娼館諜報活動に使うというアイデアは、親衛隊幹部情報部門掌握していたラインハルト・ハイドリヒよるものだが、実行移したのはその部下ヴァルター・シェレンベルクだった。ハイドリヒシェレンベルクアイデアは、ドイツ各界要人たちや各国外交官らを酒と女性もてなし枕元女性に対してナチ党政府への率直な意見や不満、自国内密情報などを打ち明けるのを傍受して不満分子摘発した機密情報得たりするのに役立てようという、俗にいう、美人局であった娼館SDエージェント浸透させるという案に対しシェレンベルク娼館そのものSD乗っ取り経営することを主張した乗っ取り対象となった高級娼館サロン・キティは、シャルロッテンブルク区ギーゼブレヒト通り(Giesebrechtstrasse)11番にあった。この地区ベルリン西部裕福な階層が暮らす地区で、サロン・キティ主な顧客ドイツ各界高位人物や、各国外交官などであった爛熟したヴァイマル文化の残る1930年代初頭以来、この高級娼館経営していた女主人マダム)は、1882年生まれのキティ・シュミット(Kitty Schmidt, 本名 Katharina Zammit)という人物であった。キティ・シュミットは、ナチ党の権力掌握以来他国亡命しようとする人々ひそかに助けつつ、自らもイギリス銀行送金続けていた。彼女自身もついに国外へ逃げようとしたが、1939年6月28日SDエージェントによりオランダドイツ国境逮捕されベルリンゲシュタポ本部へと送られた。 シェレンベルクはキティ・シュミットに面会しサロン・キティSD使わせナチ党諜報活動協力するか、SDへの協力拒否して強制収容所送られるかの二者択一迫ったSDサロン・キティを「改装」の名目一時閉店しその間大量盗聴マイクロフォン全館仕掛けたマイクからの送信線は地下室引き込まれ、そこから顧客たちの話の傍受監視を行うテーブル録音機器など備えられ部屋へと続いていた。 この娼館エージェントとして働く女性確保するため、ベルリン道徳警察風紀警察、Sittenpolizei)が逮捕した多数娼婦の中から、頭がよい、多国語を理解する思想的ナチス寄りなど、エージェント素質がある20人を選出した彼女らは7週間にわたり厳し思想教育訓練受けた。その中には各種軍服見分け方や、他愛のない会話から機密収集する方法などもあった。彼女ら顧客相手するごとに報告を行うことが義務付けられた。一方で隠しマイク部屋毎にあることについては知らされていなかった。 1940年3月サロン・キティ営業再開した。キティ・シュミットは、何事もなかったかのように営業続けるよう命じられた。ただし、「私はローテンブルクから来たのだが」という合言葉言ったに対してのみ、普通の顧客には見せない20人の女性情報載った冊子見せるよう指示された。客はその中から一人選んで夜を共に過ごすことになっていた。

※この「諜報用の娼館というアイデア」の解説は、「サロン・キティ」の解説の一部です。
「諜報用の娼館というアイデア」を含む「サロン・キティ」の記事については、「サロン・キティ」の概要を参照ください。

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