諜報活動の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:56 UTC 版)
第二次世界大戦が進むにつれ、サロン・キティの顧客は減少していった。1942年7月には連合軍の空爆で、サロン・キティが入っている建物に爆弾が落ち、同じ建物の地階への移転を余儀なくされた。結局秘密を聞き出せたことがほとんどなかったことから、ハイドリヒは「余りに成果がないので驚いた。秘密はベッドで漏らされるなどという話はただの幻想なのだろう」と述べ、サロン・キティでの諜報活動を中止することに決めた。ハイドリヒは1942年6月に暗殺されたが、その年の終わりにはSDはサロン・キティでの諜報活動を終え、もし秘密を洩らせば報復を行うと脅したうえで経営をキティ・シュミットに返還した。20人の女性もサロン・キティに残ることになった。 サロン・キティは戦後営業を再開し、経済の復興とともにふたたび人気の娼館となった。1954年にキティが没した後はその娘が跡を継いだ。キティは結局、存命している間は戦中の活動については何も語らなかった。
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