調停とFSFIの消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 01:31 UTC 版)
「国際女子スポーツ連盟」の記事における「調停とFSFIの消滅」の解説
紛争を調停するための動議がなされ、1936年FSFIの実質的な機能がIAAFに吸収される。 1934年 ドイツ陸上競技連盟がFSFIに対し、オリンピックへの女子種目を10に拡大するために女子陸上競技をIAAFの完全な管理下に置くことを承認し、紛争の解決を図るよう公式に提案する。 これに対しFSFIは、IOC内に女性を指導する代表者が存在する条件ならば、国際女子競技大会の開催を中止すると申し入れた。 1935年 1月、FSFI会長ミリア夫人がIOC宛にオリンピック大会におけるすべての女子競技の廃止を要請する手紙を出す。 2月25日、第33次IOC総会がオスロで開かれる。ミリア会長からの手紙に関する議事(FSFIが4年ごとに全女子競技を導入した女性の競技会を開催するため、オリンピックからの女子競技の全廃を要求)についてはIFの承認を要する問題であるため討議することはできないと結論づけた。 1936年 2月11日、第34次IOC総会がガルミッシュ・バルテンキルヘンで開かれる。女子競技については審議なし。 7月30日、第35次IOC総会がベルリンで開かれる。女子競技については審議なし。 8月1日、ベルリンオリンピックが開幕。女子の参加が認められた競技は体操・陸上競技・ダイビング・フェンシング・水泳。女子陸上競技の採用種目は100m、80mハードル、400mリレー、走高跳、円盤投、やり投で前回と同じ。日本からは7人の女性が出場した。 FSFIとIAAFが交渉を行い、条件付きでドイツ陸上競技連盟の提案を受け入れると発表。条件は、FSFIが既に認定しIAAFに報告した女子の記録を世界記録として公認すること。オリンピック大会への女子10種目の採用。第5回国際女子競技大会(ウィーン)開催の承認について、IAAF総会で審議することの3点。 8月10日、第13次IAAF総会がベルリンで開かれる。1934年のドイツ提案に沿って女子陸上競技を完全に管理することが決定。オリンピックの女子種目の拡大については10種目での実施は公約されず、9種目での実施が提案されたのみ。国際女子競技大会の開催は否決された。IAAFは国際大会への選手の派遣を1国1組織だけ承認しており、この決定は各国女子選手の代表権がFSFIに加盟する女子陸上競技団体から、IAAFに加盟する既存の男子陸上競技団体に移行したことを意味した。FSFIは創設目的、機能ともIAAFに奪われる形となり実質的に消滅した。
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