誤った論理と事例証拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 06:14 UTC 版)
事例証拠は、しばしば非科学的あるいは疑似科学的とされる。それは、その証拠の収集や説明に際して、何らかの認知バイアスが働く可能性があるためである。例えば、何らかの超自然的なものや宇宙人に遭遇したと主張する人は非常に詳しく体験を語るが、その場合に反証可能性は存在しない。このような現象は、バーナム効果によって多人数の集団にも発生しうる。 事例証拠は、利用可能性ヒューリスティクスを通してよく誤解され、発生頻度を過大評価されることがある。原因と結果の関連が明らかであるとき、人々はそのような効果をもたらす原因事象の発生確率を過大評価する傾向がある。特に、鮮明で感情的な逸話はもっともらしく感じられ、より大きな重み付けをされる傾向がある。関連した問題として、一般に全ての断片的な事例証拠を評価することは不可能であり、母集団の中で同様の経験をしていながら事例報告していない人の割合を評価することも不可能である。 非科学的な事例証拠は、前後即因果の誤謬という誤謬的推論を伴うのが典型的である。例えば、相関関係と因果関係を混同し、ある事象の後に別の事象が発生したとき、最初の事象が次の事象の原因であると結論する傾向がある。別の誤謬として、帰納的推論に関するものもある。実際、ある逸話が論理的な結論ではなく望ましい結論を描いていた場合、誤った一般化や早まった一般化の疑いがある。次の例は、望ましい結論の証明として提示された事例証拠である。 「神が存在していて、今日も奇跡を起こしているという豊富な証拠がある。ちょうど先週、私はある少女が癌で死にかけていると知った。彼女の家族は全員で教会に行って、彼女のために祈り、彼女の癌は治った。」 このような逸話には強力な説得力があるが、科学的あるいは論理的には何も証明していない。その子供は家族が祈らなくとも治癒したかもしれず、回帰の誤謬の例であるかもしれない。事例証拠は偽薬効果と区別できない。二重盲検法による無作為な治験によってのみ、仮説を検証できる。 修辞学に関するサイト には次のような説明がある。 例えば、事例証拠は定義上、他の証拠に比べて統計的な信頼性に乏しく、説明は権威の重み付けを伴わない。しかし事例証拠も説明も我々の前提についての理解に影響を与え、結果として我々の判断にも影響を与える。説明や逸話の相対的な力は、一般にそれが支持している前提への明快さと適用可能性の機能である。 対照的に、科学や論理では「説明の相対的な力」は、それを標準的なケースとするための検証可能性に基づいている。すなわち、中立的条件で他の研究者が納得できる方法で完璧に検証され、他の研究者が追試できる必要がある。
※この「誤った論理と事例証拠」の解説は、「事例証拠」の解説の一部です。
「誤った論理と事例証拠」を含む「事例証拠」の記事については、「事例証拠」の概要を参照ください。
- 誤った論理と事例証拠のページへのリンク