誤った通説の流布とは? わかりやすく解説

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誤った通説の流布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 10:17 UTC 版)

菱垣廻船」の記事における「誤った通説の流布」の解説

明治時代歴史学者菱垣廻船誤った理解世に広めた例え藤田明の「江戸時代海運事業」(『日本海史論所収1904年明治37年)刊)の中では「船に載せたところの物資が外に落ちない様に荷物の両舷のところへ竹を交叉して、の様な形を造っている。その竹の編み出が恰もの様な形になっているので菱垣廻船と言ったと書かれている。また『東京問屋沿革史』では「往昔船舶をして大洋怒涛激浪を防がんがため、船上囲い設け竹木をして外囲い菱形結付けし故を以って菱垣廻船の名称起こると言うと書かれているまた、このような竹垣説の他にも、例えば、太平洋戦争前の和船研究家桃木武平による『大阪市史第5巻では「菱垣船にては之れ(大筋という舷側壁を構成する主要な縦通材のこと)に継ぎ飾りをなす船多し菱垣の名は之れを由て起れるものなり」と記されており、菱垣飾り金具であったとする説もあった。 1829年文政12年)の大阪町奉行記録として菱垣廻船に関する答申書残っており、その中では、1624年寛永元年)に大阪北浜町泉屋江戸 - 大阪間の廻船問屋始め1627年寛永4年)には毛馬屋、富田屋、大津屋、顕(あら)屋、塩屋開業したとされる塩屋持ち船の数が少なく荷主に対しては船が不足した場合摂州脇之浜の廻船応援に来ると約束した。脇之浜からの雇船は、他との区別のために目印として垣立舷側部位1つ)の表に菱垣取付けとされる。この記録とは別に幾つかの記録から見て菱垣塩屋だけでなく他の廻船問屋トレードマークとして採用したことが考えられる少なくとも、菱垣廻船菱垣取付けられ位置垣立外面であったことが多く記録から知られており、菱垣波浪崩れ荷物押える役割を果たすような構造ではなかったことが明らかである(位置については本記事写真参照下さい)。 現在の日本では例えば、検定済み高校教科書新日本史」でも『菱垣廻船は、積荷落ちないように舷側に竹や木で菱形垣を作ったものでその名があり、木綿・油・酒などの輸送あたった』とされていることがあり、このような通説今でも流布しているが、これらは誤りである。

※この「誤った通説の流布」の解説は、「菱垣廻船」の解説の一部です。
「誤った通説の流布」を含む「菱垣廻船」の記事については、「菱垣廻船」の概要を参照ください。

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