評価と商業的成功
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コリング兄弟の生産したウシが最初に高値で売れたのは1799年だった。彼らの農場を見に来たある畜産家が、フェイヴァリット号(後述)とその姉妹の牛を一目見て衝撃を受け、コリング兄弟の生産した牛を100ギニーで買ったのである。翌年にはダラムオックス号(後述)が140ポンドで売れ、さらに高値で転売されていってロンドンで大きな注目を浴びた。 はじめのうち周りの畜産家の大半は、コリング兄弟のことをたまたま運が良かっただけだとみなしていた。しかし「この分野での最高の権威」であるヘンリー・ベリー牧師(Rev. Henry Berry)は当時から、コリング兄弟の成功は「入念でよく練られた計画」の賜物と評している。 ショートホーン種の祖先になったウシのうち数頭の個体名が伝わっている。そのうち、弟のチャールズが非常に気に入って購入したウシが「ハバック号(Hubback)」(後述)というが、そのときの買値は8ギニーだった。当時の一般的なウシの落札価格はせいぜい5ギニーだったと伝えられている。これに較べ、1810年に、コリング兄弟が生産したウシをセリ市に出して47頭が落札されたとき、その落札価格の平均は1頭あたり144ギニーあまりにもなった。その中には史上最高価格の1000ギニーをつけたコメット号も含まれている。。 さらに、これとは別に兄のロバートが生産した雌牛5頭をセリに出すと、1頭200ギニーで売れた。彼らは1818年にも61頭をセリに出した。このときはそれまでに売ったウシが既にダーリントン周辺に広まっていたので、以前よりは平均価格が下がったが、それでも7484ギニーもの売上げを記録した。 後に、畜産家29名が共同で、チャールズ・コリングに対して業績を称える銀杯を贈呈しており、それには「ショートホーン種の偉大な創設者 (the great improver of the short-horned breed of cattle) 」と刻まれている。 1810年10月11日のコリング氏のセリで取引されたウシ 牛名性別年齢母父売却価格(ギニー)Comet 牡 6 Pheonix Favourite 1000 Lily 牝 3 Daisy Comet 0410 Countess 牝 9 Lady Cupid 0400 Petrarch 牡 2 Old Venus Comet 0365 Laura 牝 4 Lady Favourite 0210 Lady 牝 14 Old Pheonix Bolingbrokeの孫 0206 Young Countess 牝 2 Countess Comet 0206 Major 牡 3 Lady Comet 0200 Celina 牝 5 Countess Favourite 0200 Young Duchess 牝 2 Favouriteの娘 Comet 0183 Cecil 牡 0 Peeress Comet 0170 Magdalene 牝 3 Washingtonの娘 Comet 0170 Peeress 牝 5 Cherry Favourite 0170 Cathelene 牝 8 Pheonixの母の娘 Washington 0150 Mayduke 牡 3 Cherry Comet 0145 Daisy 牝 6 Old Daisy Favouriteの孫 0140 Young Favourite 牡 0 Countess Comet 0140 Charlotte 牝 1 Cathelene Comet 0136 Lucy 牝 2 Washingtonの娘 Comet 0132 Johanna 牝 ? Johanna Favourite 0130 Geerse 牡 0 Lady Comet 0130 Beauty 牝 4 Miss Washington Marsh 0120 Alfred 牡 1 Venus Comet 0110 Lucilla 牝 0 Laura Comet 0106 Duke 牡 1 Duchess Comet 0105 Phoebe 牝 3 Favouriteの娘 Comet 0105 Young Laura 牝 3 Laura Comet 0101 Sir Dimple 牡 0 Daisy Comet 0090 Cherry 牝 11 Old Cherry Favourite 0083 Northumberland 牡 2 ? Favourite 0080 Ossian 牡 1 Magdalene Favourite 0076 White Rose 牝 0 Lily Yarborough 0075 Cora 牝 4 Countess Favourite 0070 Flora 牝 3 ? Comet 0070 Alexander 牡 1 Cora Comet 0063 Miss Peggy 牝 3 ? Favouriteの子 0060 Albion 牡 0 Beauty Comet 0060 Yarborough 牡 9 ? Favourite 0055 Ruby 牝 0 Red Rose Yarborough 0050 Harold 牡 1 Red Rose Windsor 0050 Calista 牝 0 Cora Comet 0050 Ketton 牡 0 Cherry Comet 0050 Red Rose 牝 4 Elisa Comet 0045 Kate 牝 4 ? Comet 0035 Johanna 牝 1 Johanna Comet 0035 Cowslip 牝 0 ? Comet 0025 Narcissus 牡 0 Flora Comet 0015 上の表の価格は「ギニー」単位である点に注意。1ギニーは21シリング、1ポンドは20シリングに相当し、100ギニーは105ポンドに相当する。 Johannaは同名だがそれぞれ異なるウシ。後世には「1世」「2世」などをつけて区別する場合もある。
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評価と商業的成功
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「ウルトラ・マドンナ〜グレイテスト・ヒッツ」の記事における「評価と商業的成功」の解説
新曲として、「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」と「レスキュー・ミー」の2曲が収録された。この2曲両方シングルをして発表され、Top10に入るヒットとなった。特に、レニー・クラヴィッツと共作した「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」は、過激なプロモーションビデオが放送禁止となるなど、話題を集め全米第1位となった。またトラックに乗せて詞を朗読する新しいスタイルを取り入れ、次作『エロティカ』に繋がる楽曲となっている。1990年代後半までに約2000万枚を売り上げ、『ウルトラ・マドンナ』はソロ・アーティストのベスト・アルバムの中で最も売り上げの高いアルバムになった。現在までに3000万枚を売り上げている。2006年には、英国レコード産業協会はソロ・アーティストによるアルバムの中、英国音楽史上最も売り上げの高いアルバムに認定した。また、英国のアルバム・チャートでは9週間連続第1位に止まり、記録を破った。この記録は、アデルの『21』が2011年に記録を塗り替えるまで、最長のものであった。米音楽雑誌ブレンダーは「ウルトラ・マドンナ」を「史上最も偉大な100のアメリカン・アルバム」の第1位に選んだ。「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」に於いても、138位にランクイン。
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