ピア・アンジェリとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 芸能人 > 俳優・女優 > イタリアの俳優 > ピア・アンジェリの意味・解説 

ピア・アンジェリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 02:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ピア・アンジェリ
Pier Angeli
1957年宣伝写真
別名義 Pier Angeli
生年月日 (1932-06-19) 1932年6月19日
没年月日 (1971-09-10) 1971年9月10日(39歳没)
出生地 サルデーニャ島
国籍 イタリア
配偶者 ビック・ダモン
テンプレートを表示

ピア・アンジェリ(Pier Angeli、1932年6月19日 - 1971年9月10日)は、イタリア女優。本名はアナ・マリア・ピアンジェリ(Anna Maria Pierangeli)。二卵性双生児の妹のマリサ・パヴァンも女優(ジョン・フォード監督『栄光何するものぞ1952年でデビューし、俳優ジャン=ピエール・オーモンと結婚した)。

来歴

1954年
1954年11月、ヴィック・ダモーンと結婚。

サルデーニャ島カリャリ出身。16歳のときにイタリア映画でデビュー。とくに1950年の『明日では遅すぎる』(主演)ではイタリア映画のネオ・レアリスモ運動の大きな原動力となったこの作品の評価と商業的成功に多大に貢献、これが1950年代の米国進出(MGMと契約)のきっかけとなる。MGMではポール・ニューマンの『傷だらけの栄光』(当初はジェームズ・ディーン主演の予定だった)でヒロインを演じるなど清純派女優としてハリウッドで活躍した。それ以降はイタリアを中心にヨーロッパ映画に出演。

カーク・ダグラスの自伝によると、ダグラスとピアは1953年制作の映画『三つの恋の物語』(オムニバス映画で第3話「均衡」)で出会い、1950年代前半に婚約していたという[1]。その後、『エデンの東』を撮影中だったディーンと恋に落ちるが、ピアの母親の反対(アンジェリ家はローマ・カトリックだったがディーンはカトリックでなかったことが原因だったといわれる)などもあって短期間で別れたことは有名。

ディーンと別れた翌年の1954年11月24日、ヴィック・ダモーンと結婚[2]。男児を儲けたが離婚。

作曲家アルマンド・トロヴァヨーリと結婚して男児を儲けている。その後はアメリカ映画の作風の変化(暴力・性的表現の過激化など)についていけなくなったことから歌手としてアルバムなど作品リリースを行なうなどするも人気・仕事では低迷・不遇が続いていたといわれる。

1971年、睡眠薬バルビツールの過剰服用(自殺説もあり)により急死した[3][4]

主な出演作品

参照

  1. ^ Douglas, Kirk (1989). The Ragman's Son: An Autobiography. G.K. Hall. pp. 35, 174, 187, 202. ISBN 0-816-14795-7 
  2. ^ 『サンケイグラフ』1955年1月16日号、産業経済新聞社。
  3. ^ Crivello, Kirk (1988). Fallen Angels: The Lives and Untimely Deaths of Fourteen Hollywood Beauties. Citadel Press. pp. 277. ISBN 0-806-51096-X 
  4. ^ Frascella, Lawrence; Weisel, Al (2005). Live Fast, Die Young: The Wild Ride of Making Rebel Without a Cause. Simon and Schuster. pp. 180. ISBN 0-743-29118-2 

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ピア・アンジェリ」の関連用語

ピア・アンジェリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ピア・アンジェリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのピア・アンジェリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS