ダラムオックス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 07:50 UTC 版)
ダラムオックス号(Durham Ox)は1796年に生産された雄牛である。父牛はコメット号と同じ「フェイヴァリット号(Favorite)」で、母牛は「ハバック号(Hubback)」(後述)の娘だった。コリング兄弟が生産したウシとしては近親交配が少ない方だったと伝えられている。 この粕毛の仔牛には、当初は「ケットンオックス号(Ketton Ox)」と名付けられた。ケットンオックスはダーリントンの町で開かれた牛市で売られ、140ポンドで買い手がついた。その時に体重は168ストーン(2352ポンド=約1066kg)あり、さらに216ストーン(3024ポンド=約1370kg)にまで大きくなった。これは当時としては尋常ではない大きさだった。 ケットンオックスは専用の馬車に載せられて見世物にされた。5ヶ月後にこれを買いたいと言う人物が現れて、馬車ごと250ポンドで転売された。この新しい持ち主は、ウシの名前を「ダラムオックス号 (Durham Ox)」と改名した。この新しい所有者は宣伝に長けた人物で、2週間後には彼のもとに倍値の525ポンドでダラムオックス号を買いたいと言う申し出が来た。彼がこれを断ると、翌月には買値は1000ポンドになり、翌々月には2000ポンドにまで釣り上がったが、彼はこれらの申し出も全て断った。 ダラムオックス号はロンドンで見世物になった。1802年の記録では、見物料は1日だけで97ポンドの売上になり、さらにダラムオックス号を描いた版画が年間2000枚も売れたという。半年後には、ダラムオックス号はイギリス中に知られるようになった。同時代のサラブレッドの名馬エクリプス号(1764-1789)と並ぶ知名度を持っていたと伝えられている。当時、あちこちで絵描きが雇われてダラムオックス号の肖像画が作られ、貴族たちに買い上げられた。イギリスの各地で「ダラムオックス」という名前の酒場や宿屋が誕生した。ダラムオックス号は陶器の皿の図柄としても人気があった。当時作られたダラムオックス号を描いた陶器は、今ではレア物として5000ポンドもの価格で売買されている。また、オーストラリアのビクトリア州にあるダラムオックスの町(Durham Ox)の名はこのウシからとられたとされている。 ダラムオックス号は見世物として、4頭立ての馬車に載せられ、イングランドからスコットランドまであちこちの町を6年かけて巡ってまわった。10歳になる頃には3800ポンド(約1723kg)もの大きさになった。 しかし、1807年2月19日、イングランド南東部のオックスフォードを訪れている最中に、ダラムオックス号は馬車の上で足を滑らせて転倒してしまい、腰骨を脱臼してしまった。2ヶ月近くに渡って治療が施されたが様態は回復せず、痛みに苦しむため、4月15日にとうとう殺処分された。 ダラムオックス号は、ただ大きいとか目方があるというだけでなく、姿が非常に美しいとされている。また性質も温厚で、6年間面倒を見続けた所有者の妻は、「まるで子鹿のようだった」と評した。ダラムオックスの死後、その業績を伝える32ページのパンフレット「An Account of The Late Extraordinary Durham Ox」が作られて出版された。
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