評価と引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 05:55 UTC 版)
調教師としてのポーターは、生真面目で、競走馬と、若手騎手や厩務員を大切にした。そのため、競走馬をやたらと出走させることはなく、馬を強く追うことを避けた。また、負担重量の軽い競走を選択することで見習い騎手の騎乗機会を増やした。スタッフの待遇改善のため専用の風呂やトイレを整備したり、見習い騎手の賞金取り分を増やしたことでも知られている。しかしそのために、厩舎の経営はいつも苦しかったという。競馬の賞金はそのほとんどが厩舎の維持費に消え、かろうじて日常生活を営むことができる程度だった。馬主から授けられる臨時収入があったり、繁殖牝馬が思わぬ高値で売れたときだけが貯蓄をすることができた。 ポーターは1905年のシーズンを最後に、調教師業から退いた。43年間の通算勝利数はクラシック競走23勝を含む1063勝、総獲得賞金は720,021ポンドであった。キングスクレアの施設の維持費があまりにも高額だったため、ポーターはウェストミンスター公爵やポートランド伯爵と共同で厩舎を株式会社化した。そのうえでウィリアム・ウォー調教師(William Waugh)を招聘して厩舎の管理を委ねた。
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