觀月橋とは? わかりやすく解説

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観月橋

読み方:カンゲツキョウ(kangetsukyou)

所在 京都府(京阪電気鉄道宇治線)

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

観月橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 06:48 UTC 版)

国道24号標識
観月橋
観月橋(右)と新観月橋(左)
基本情報
日本
所在地 京都府京都市伏見区
交差物件 宇治川
用途 道路橋
路線名 国道24号
管理者 国土交通省近畿地方整備局京都国道事務所
施工者 日本橋梁
開通 1936年昭和11年)6月1日
座標 北緯34度55分37.5秒 東経135度46分6.7秒 / 北緯34.927083度 東経135.768528度 / 34.927083; 135.768528 (観月橋)
構造諸元
形式 ゲルバー桁橋
材料
全長 178.950 m
12.400 m
最大支間長 25.300 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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観月橋(かんげつきょう)とは、京都府京都市伏見区の宇治川(淀川)に架かる国道24号。ここでは、観月橋に隣接して宇治川上流側に架けられた新観月橋(しんかんげつきょう)についても述べる。

概要

豊臣秀吉が現在の指月山月橋院付近で催したと言われる月見の宴が名称の由来である[1]。観月橋の命名は明治初期であり、近世における名称は豊後橋(ぶんごばし)と言い、橋の北側の町名も「豊後橋町」である。近世における名称としてはそのほか『山州名跡志』によれば「桂橋」、『山城名勝志』では「指月橋」などがある。また近代では『紀伊郡誌』には「両郡橋」とあり、その名称は紀伊郡久世郡[注釈 1]を結んだことに由来するとされる[2]

宇治川を渡る国道24号の橋であり、1936年昭和11年)に架橋された現在の観月橋は約179メートルの鋼製ゲルバー桁橋である。観月橋の北岸には、京阪宇治線の踏切があり、その踏切を含む形で観月橋北詰交差点が設置されており、京都外環状線京都府道7号京都宇治線京都市道188号観月橋横大路線)と交差する。後述の新観月橋(新観月高架橋)とは異なり歩道が設置されている。

観月橋の北で京都外環状線と京阪宇治線と平面交差しているため、朝夕の通勤時間帯において慢性的な渋滞のポイントとなっていたことから、1975年(昭和50年)に隣接して上流側に新観月橋(新観月高架橋)が架橋された[3]。新観月橋は、宇治川と合わせ右岸の京都外環状線や京阪宇治線および左岸の京都府道241号向島宇治線をオーバーパスしている。観月橋の下流には近鉄京都線澱川橋梁が渡河している。

観月橋の諸元

[4][5]

新観月橋の諸元

  • 形式 - 2径間連続箱桁橋(跨線橋部) + 鋼3径間連続箱桁橋(渡河部) + 鋼単純合成鈑桁橋
  • 延長 - 536.9 m
    • 箱桁部径間割 - ( 2×48 m ) + ( 51.4 m + 76.6 m + 51.4 m )
  • 幅員
    • 総幅員 - 12.0 m
    • 有効幅員 - 11.0 m
  • 床版 - 鉄筋コンクリート
  • 施工 - 川崎重工業日本橋梁(渡河部)
  • 完成 - 1975年(昭和50年)3月

[5][6][7]

沿革

江戸時代の豊後橋(『都名所図会』1780年)
  • 鎌倉時代末期から、桂橋(両郡橋又は指月橋)と称し存在するが、京と奈良をつなぐ奈良街道六地蔵から宇治橋を経由していた。
  • 桃山時代 - 豊臣秀吉が巨椋池の中に小倉堤を築き奈良街道の新道(大和街道)を開いた際に、豊後大友氏に命じ、宇治橋を伏見城下の大友豊後守屋敷前と対岸の向島の新道との間の現在地に移したため、以後は豊後橋と呼ばれた。
  • 江戸時代を通して18回の架け替えや修復の工事が行われ、鳥羽・伏見の戦いで豊後橋が焼け落ち、その後、渡し船が就航。
  • 1873年明治6年) - 再建に伴い、観月橋と命名[1]
  • 1936年昭和11年)6月1日 - 現在の観月橋が開通[5][8]
  • 1968年度(昭和43年度) - 新観月橋着工[3]
  • 1975年(昭和50年)3月11日 - 新観月橋(新観月高架橋)が開通[5][9]
  • 1979年(昭和54年)3月 - 観月橋の補修・上流側歩道橋拡幅[5]

橋の周辺

脚注

注釈

  1. ^ 左岸の向島村は紀伊郡に属するため、それよりも先の宇治郷などを指したと考えられる。

出典

  1. ^ a b 京阪電気鉄道駅置き新聞「K PRESS」2013年4月号、p.7
  2. ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), p. 468, 「観月橋」.
  3. ^ a b 『京都国道工事事務所40年のあゆみ』 (2000), p. 87.
  4. ^ 観月橋”. 歴史的鋼橋集覧. 土木学会. 2021年12月15日閲覧。
  5. ^ a b c d e 観月橋1936-6-1”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年12月15日閲覧。
  6. ^ 橋梁年鑑 昭和54年版” (PDF). 日本橋梁建設協会. pp. 112, 113. 2021年12月15日閲覧。
  7. ^ 跨線橋の点検結果及び修繕状況について” (PDF). 京都府道路鉄道連絡会議. p. 7. 2021年12月15日閲覧。
  8. ^ 京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念事業実行委員会 『京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念誌』 2003年5月、p.65。
  9. ^ 京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念事業実行委員会 『京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念誌』 2003年5月、p.68。

参考文献

関連項目


観月橋(かんげつきょう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 15:54 UTC 版)

流れ橋」の記事における「観月橋(かんげつきょう)」の解説

長約80m、幅1.2m。岡山県矢掛町小田川架かる2015年平成27年)に撤去された。

※この「観月橋(かんげつきょう)」の解説は、「流れ橋」の解説の一部です。
「観月橋(かんげつきょう)」を含む「流れ橋」の記事については、「流れ橋」の概要を参照ください。

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