見世物となった首
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:31 UTC 版)
イェーガンの首は当初、ヘンリー・ブルの家に持ち込まれた。そこでそれを見たモーは手書きの私蔵用日記にスケッチを取り、「これは、どこかの博物館で所蔵する方がいいかもしれない」と意見を述べた。これを受けて、腐敗を防ぐために首は木に吊るされ、約3ヶ月間ユーカリのチップで燻され続けた。 1833年9月、イェーガンの首は陸軍中尉ロバート・デールの手に渡り、イギリスへ運ばれた。デールは、この首は「人類学上の珍品」だと言ってフレデリック・アーウィン大佐を説得したという。デールはロンドンに到着すると、解剖学者や骨相学者たちの間を廻り、首を「2〜3倍の価値はある」とふっかけながら20 UKポンドで売り込んだ。しかし買い手は見つからず、仕方なくデールは外科医のトーマス・ペティグルーに一年間首を貸し出した。古物収集家としても知られていたペティグルーは、私的なパーティを催しては検死した古代エジプトのミイラを展示することでロンドンの社交界で有名な人物だった。彼は、デールのスケッチから作成したキング・ジョージ・サウンド (en) の風景画をバックに、ヘアバンドとアカオクロオウム (en) の羽根をあしらった首をテーブルに据えて展示し、客に見せた。 ペティグルーはまた、骨相学者に首を分析させた。イェーガンの頭蓋骨後部には銃撃された際の骨折が広範囲にわたっていたため難しいとも思われたが、分析の結果は、当時のヨーロッパが持つオーストラリア先住民についての知見と予想通り一致した。この評価を含んで、デールは小冊子『Descriptive Account of the Panoramic View & of King George's Sound and the Adjacent Country 』(意:キング・ジョージ・サウンドと周辺地域を包括する説明の記述)を発行した。この本は、表紙にジョージ・クルックシャンクが描いたイェーガンの首のアクアチントに手彩色された絵が描かれ、ペティグルーの夜会の土産として売られた。 1835年初頭、イェーガンの首は風景画ともどもリヴァプールに住むデールに返却された。10月12日、デールはリヴァプール王立協会 (en) にイェーガンの首を売り込んだ。首は、解剖頭蓋を説明した他の標本や蝋製模型などと一緒に展示されたと思われる。1894年に協会の所蔵品は分配され、イェーガンの首はリバプール世界博物館 (en) に貸し出されたが、そこでは展示されなかったと考えられる。
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