要塞構築とは? わかりやすく解説

要塞構築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 08:13 UTC 版)

時尾善三郎」の記事における「要塞構築」の解説

1886年明治19年10月8日工兵第2方面本署大阪工役長に就任同月下山八工中尉横地直工大尉新潟県直江津鉄道伝習行い1887年明治20年1月東京湾要塞観音崎猿島砲台視察した後、4月19日長崎県下県郡雞知村ヶ浜に設置され対馬砲台建築派出所拠点に、 堀俊一工兵監護安倍三郎工兵曹長太田尾貞一工兵一等軍曹等を指揮しながら、同月温江崎・大平砲台7月面天奈弾薬本庫、9月大石砲台起工年末には腸チフス流行等に見舞われながら、1888年明治21年竣工した1888年明治21年11月27日陸軍省臨時砲台建築部召集され黒田久孝砲兵大佐矢吹秀一工兵中佐上原勇作工兵大尉有坂成章砲兵少佐西田明則技師吉本亀三郎技師来島省三技手下山八工中尉等との業務通じて研鑽積んだ1889年明治22年11月22日東京工兵第1方面本署転じた1891年明治24年6月6日第6師団工兵第6大隊(旧:熊本鎮台工兵第3大隊)中隊長となり、熊本戻った1893年明治26年5月22日工兵第2方面署に戻り12月16日淡路島由良支署配属され支署長上利芳三工少佐の下で由良要塞赤松山・伊張山堡塁、婦野川橋生石山諸砲台友ヶ島内の交通路構築した1894年明治27年10月横地直工大尉と共に朝鮮半島派遣され、ドコービル・レールによる軽便鉄道敷設した1896年明治29年3月鳴門海峡防禦計画改正を受け、4月1日淡路島福良置かれた第2方面鳴門支署初代支署長に就任し鳴門要塞着工準備行った1896年明治29年11月20日舞鶴支署1897年明治30年9月15日工兵方面廃止により陸軍省築城部舞鶴支部)長に転じ本署御用掛を兼ね舞鶴要塞葦谷・浦入・金岬・槙山砲台下安久火薬本庫、白杉地区との交通路起工し、葦谷・槙山砲台竣工見た1899年明治32年8月12日築城部横須賀支部長となり、1903年明治36年5月1日東京湾要塞司令部兼務し台風悩まされながら第二海堡の上構造基礎工事第三海堡人工島造成当たった

※この「要塞構築」の解説は、「時尾善三郎」の解説の一部です。
「要塞構築」を含む「時尾善三郎」の記事については、「時尾善三郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「要塞構築」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から要塞構築を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から要塞構築を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から要塞構築 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「要塞構築」の関連用語

要塞構築のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



要塞構築のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの時尾善三郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS