西武軌道線引き継ぎ車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 17:33 UTC 版)
「西武モハ101形電車」の記事における「西武軌道線引き継ぎ車」の解説
モハ104 - 107 モハ51・111および都電杉並線(西武軌道線)202・211を種車とし、入線経緯ならびに鋼体化直前の外観は各々異なるものの、原形はいずれも木造オープンデッキ構造の路面電車型車両である。 モハ51は西武軌道線33形36として1924年(大正14年)6月に田中車両において新製され、西武軌道線の東京都交通局への運営委託後は250形254と改称・改番された。戦後間もなく休車となったのち、1946年(昭和21年)11月に再び西武鉄道の籍へ編入(譲渡)され、1951年(昭和26年)3月にモハ51形51として多摩湖線に配属された。導入に際しては保谷車両工場(後の保谷車両管理所)において屋根部のシングルルーフ構造化、乗降口下部の車外ステップ撤去、オープンデッキ部分への運転台および客用扉の新設が施工された。 モハ111は西武軌道線23形24として1923年(大正13年)9月に東洋車輌において新製され、運営委託後は東京都交通局210形212と改称・改番された。1945年(昭和20年)5月25日の空襲により車体を焼失し、1949年(昭和24年)5月に関東車輌電気において木造車体を新製、モハ111形111として西武鉄道の籍へ編入(譲渡)された。 以上の2両は多摩湖線において旅客車両として運用されたのち、モハ104・105の種車となった。 202・211は西武軌道線21形22・23形23として、前者は1922年(大正11年)11月に枝光鉄工所で、後者は1923年(大正13年)9月に東洋車輌でそれぞれ新製され、運営委託後は東京都交通局200形202・210形211と改称・改番された。同2両は戦後も引き続き都電杉並線において運用されたが、211は1953年(昭和28年)3月に、202は同年5月に再び西武鉄道の籍へ編入(譲渡)された。西武への譲渡後は前述モハ51・111のように旅客車両として運用されることなく、直接モハ106・107の種車となった。 以上の4両に対して、1950年(昭和25年)10月から1953年(昭和28年)8月にかけて順次鋼体化・車体新製が施工された。前述のように、本グループ以降の車体新製は全て所沢車両工場で行われ、車体各部に設計変更が加えられた。
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