西太平洋での活動とは? わかりやすく解説

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西太平洋での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/09 17:19 UTC 版)

ジェイソン (工作艦)」の記事における「西太平洋での活動」の解説

1965年1月4日サンディエゴ出たジェイソン25日横須賀到着日本沖縄での活動後に3月6日スービック湾入港8月31日母港へ戻るまで第7艦隊艦艇行動したジェイソンカリフォルニア州南部の諸港で行動後に1966年3月4日ワシントン州ブレマートンオーバーホール行ったオーバーホール完了後の6月6日引き続き西海岸行動してから1967年1月9日西太平洋向かったその後8月19日サンディエゴへ戻るまで佐世保スービック湾第7艦隊艦艇活動した1974年頃にジェイソンの5インチ主砲撤去され戦闘艦艇となったため、女性乗員勤務認められることになったサンディエゴ母港としていた1980年10月ジェイソン乗員たちはイランアメリカ大使館人質事件の対応を支援するため西太平洋インド洋巡航行ったジェイソン乗員おおよそ男性800名と女性45名から構成されていた。1ヶ月間の横須賀での修理任務スービック湾での感謝祭停泊虫垂炎発症した乗員の手術のためのごく短期間シンガポール寄港経てジェイソンインド洋へ入った。そこでジェイソンソ連軍艦タンカー各1隻、商船2隻と遭遇し、それから間もなく潜水艦1隻も確認したディエゴガルシア島の湾の中央停泊したジェイソンは浮かぶ埠頭役目果たし水上艦艇潜水艦双方修理し続けたジェイソンその後すぐにサンディエゴ戻り1981年2月27日西オーストラリア州フリーマントル立ち寄りパースでの4日間のR&R英語版)と真珠湾での補給行った。 それから間もなく乗員ジェイソン母港真珠湾変更される知らせ受けたジェイソン駆逐艦母艦ブライス・キャニオン英語版)(USS Bryce Canyon, AD-36)から母艦任務引き継ぐことになり、ジェイソン艦長ジョンソン大佐からブライス・キャニオン艦長であったマーティン大佐交代した真珠湾にいる間、ジェイソン数百ドル費やしてオーバーホール実施した1983年西太平洋地域向かったジェイソンは、日本横須賀佐世保フィリピンスービック海軍基地、そして韓国釜山巡った1986年2月10日ジェイソン真珠湾南西100km海上艦隊給油艦ウィラメッテ英語版)(USS Willamette, AO-180)に衝突された。ジェイソンウィラメッテ中心とする陣形横切ってウィラメッテ後部に陣取ろうとした際に起きた事故であったジェイソン乗員1名が死亡し、8名が負傷したジェイソン左舷には甲板から水線部へ垂直に広がる大きな亀裂入り曳航救難艦英語版ブランズウィック英語版)(USS Brunswick, ATS-3)に曳航されて港に戻らざるを得なかった。衝突事故責任問われ、両艦の艦長解任されることになった修理後ジェイソン新たな母港であるサンディエゴ移動したジェイソンはこの時までに、海軍在籍艦艇で最も叙勲された艦となっていた。 1990年1月ジェイソンディエゴガルシア沿岸航行中だった際に赤い人衛星似た未確認飛行物体目撃騒ぎ発生した

※この「西太平洋での活動」の解説は、「ジェイソン (工作艦)」の解説の一部です。
「西太平洋での活動」を含む「ジェイソン (工作艦)」の記事については、「ジェイソン (工作艦)」の概要を参照ください。

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