北太平洋での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 10:10 UTC 版)
「ウィリアム・D・ポーター (駆逐艦)」の記事における「北太平洋での活動」の解説
1943年12月29日、ウィリアム・D・ポーターはウナラスカ島ダッチハーバーに到着し、第94任務部隊(Task Force 94, TF 94)に加わった。1944年1月2日から4日にかけてダッチハーバーからアダック島へ向かい、1月7日にハワイへ向かうまで訓練任務に従事した。1月22日に真珠湾へ入港し、2月1日に駆逐艦母艦ブラックホーク(英語版)(USS Black Hawk, AD-9)を護衛して再びアダック島へ向かった。2隻は9日後に到着し、その後4ヶ月間ウィリアム・D・ポーターは第94任務部隊で比較的平穏な時間を過ごした。ウィリアム・D・ポーターはアリューシャン列島の様々な島を巡り、主に対潜護衛を行った。 1944年5月30日にウィリアム・D・ポーターの艦長がウォルター少佐からチャールズ・M・キース(Charles M. Keyes)中佐(アナポリス1932年卒)に交代した。 6月10日、ウィリアム・D・ポーターはアッツ島を出て千島列島を目指した。ウィリアム・D・ポーターら第94任務部隊は13日の早朝に到着し、松輪島の目標へ午前5時13分から艦砲射撃を開始した。20分後、ウィリアム・D・ポーターのレーダーが左舷方向から55ノット(100km/h)超で接近する正体不明の水上目標を捉えた。レーダー手はその目標を敵の魚雷艇であろうと判断し、ウィリアム・D・ポーターは松輪島への砲撃を中断して新たな標的へ砲撃を行った。すぐにレーダースクリーンから目標の反応が消え、第94任務部隊の砲火の犠牲になったものと思われた。程なくして、任務部隊は任務を完遂し給油のためにアッツ島へ戻っていった。 6月24日、ウィリアム・D・ポーターと第94任務部隊は千島列島での2度目の任務を行うためアッツ島を出発した。2日後に海上の霧はだんだん濃くなっていき、26日に幌筵島沖へ到着した時点で視界は200ヤード程度まで下がっていた。ウィリアム・D・ポーターは艦砲射撃を行った後に、第94任務部隊と共にアリューシャン列島へ戻った。1ヶ月の訓練を行ってから、アリューシャン列島での最後の任務のために8月1日クルク湾(英語版)を出発した。2日後、第94任務部隊は敵の双発爆撃機に追尾され、護衛の駆逐艦が対空砲火を行った。これは任務における唯一記述すべき出来事だった。なぜなら悪天候と敵の偵察機の出現によって、翌日に任務は中止されたからである。ウィリアム・D・ポーターは8月4日にアッツ島のマサカー湾(英語版)に投錨した。 1ヶ月間の対潜哨戒の後、ウィリアム・D・ポーターは西太平洋での活動に備えてサンフランシスコで短期間の入渠を行った。修理完了後、9月27日にサンフランシスコを出港したウィリアム・D・ポーターは10月2日にオアフ島へ到着した。真珠湾沖で2週間の訓練を行った後、18日に西太平洋へ向けて出発した。12日後、ウィリアム・D・ポーターはアドミラルティ諸島マヌス島のゼーアドラー湾へ入った。ウィリアム・D・ポーターは11月初めにマヌス島を出てホーランディアからレイテ島へ攻撃貨物輸送艦アルシャイン(英語版)(USS Alshain, AKA-55)を護衛した。
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