西南戦争後の再編制とは? わかりやすく解説

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西南戦争後の再編制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 03:48 UTC 版)

大日本帝国陸軍の歴史」の記事における「西南戦争後の再編制」の解説

西南戦争後、その戦訓自由民権運動による政変への対応から陸軍即応性の確立天皇親卒体制への改善図られた。軍の作戦活動国政から切り離し自由且つ迅速に行うことを目的とし、1878年明治11年)にドイツ陸軍兵制を範にとり、参謀本部監軍本部設置された。軍令機構太政官政府から天皇直隷となり、陸軍軍令軍政所掌機関二元組織となった同じく1878年8月竹橋事件起き、他にも規律上の問題案件自由民権運動高まりとともに政治関与する軍人諸事件等が起きていた。軍人規律守らせるにあたり兵部省明治5年に読法を布告し他にも褒賞処罰等の規則定められていたが、竹橋事件後に陸軍山県有朋軍人訓戒配布し軍人道徳確立図ったその内容旧来の封建武士道における君主武士の関係を天皇軍人に置き換えただけであり効果的ではなかった。1879年明治12年)に東京招魂社靖国神社改称の上別格官幣社とした。この管轄内務省陸海軍省となり、戦死後の名誉としてあり方確立され士気を向上させた。1881年明治14年1月憲兵陸軍兵科一つとして設けられ東京憲兵本部置かれ12月には陸軍刑法定められた。1882年明治15年1月4日天皇軍人勅諭下賜した。 軍人処遇賞罰をめぐる諸制度整備平行し各種軍学校充実発展にも意欲注がれた。1877年明治10年)に陸軍士官学校陸軍幼年学校合併1882年11月参謀養成のため陸軍大学校設け1887年明治20年6月陸軍士官学校官制陸軍幼年学校官制が再制定のうえで士官候補制度設けられ第1期生は翌年1888年明治21年11月陸軍士官学校入学した。後の1897年明治30年)に陸軍幼年学校は再設置された。これらの学校以外にも1886年明治19年)から1889年明治22年)にかけて、陸軍砲兵射的学校陸軍軍医学校陸軍獣医学校陸軍経理学校陸軍乗馬学校陸軍砲工学校等が整備された。

※この「西南戦争後の再編制」の解説は、「大日本帝国陸軍の歴史」の解説の一部です。
「西南戦争後の再編制」を含む「大日本帝国陸軍の歴史」の記事については、「大日本帝国陸軍の歴史」の概要を参照ください。

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